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思い出深い、二人きりでの豪華な披露口上~不世出の国宝噺家追悼~ [落語情報]


令和3年、10月7日。

落語界の巨星がまた一つ、空の彼方に旅立ちました。

さよなら小三治師匠.jpg

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。


二人だけの口上?

柳家小三治。

史上3人目の、人間国宝噺家。

先日惜しまれつつ世を去ったこの名人・私にとっては名人古今亭志ん朝のお宝エピソードで取り上げた大看板と同じく、憧れのスーパースター

それでも私の師・扇橋が親しかった関係で、志ん朝師よりは接する機会に恵まれたのはとてもありがたいことです。




今回は2001年秋、私が真打昇進した時のエピソードをご紹介。

10人一緒に昇進した私たち、各寄席披露興行の出番は一日ずつ。
4軒目の池袋演芸場が、最後になります。

その池袋での真打披露口上に並んでくれたのは、扇橋と小三治師匠。

本来なら司会が必要なので、最低でも3人は口上に参加できるよう番組編成してあるものなのです。


ちょうど私の担当日は、週末にあたっていたのでしょう。幹部の出演者陣はみな忙しくてお休みか、後半まで残れない方ばかり。

どうしても口上要員が、ひとり足りません。


「筆頭弟子の扇遊師匠に、司会だけお願いしましょうか?」
事前に落語協会事務局から、師匠のところに打診はあったそうです。


それを扇橋が伝えたところ、小三治師匠いわく。
「いいよ、わざわざ出番じゃない者を入れなくても。俺とそっちと、二人だけの方が気がおけなくていいや」

この意見にうちの師匠、
「そうだな、池袋の高座はそんな広くないし、ちょうどいいか
私の意向なぞお構いなしで、すぐ賛同。

当時の披露目では珍しい、新真打当人入れて3人での口上が実現することに。


ありがたい、
でも手が痺れる…

披露目当日は、秋晴れの行楽日和。
個人的に呼んだお客様も含め、客席は満員の盛況。

番組は滞りなく進み、休憩後の「クイツキ」でいよいよ口上が始まります。

片シャギリの笛と太鼓で、ゆっくりと幕が開く。
お客席からは、万雷の拍手。


私の右には、師匠・扇橋が控え。
左側すぐ隣には、後の人間国宝。

緊張で胸はドキドキ、
喉はカラカラ。

そんな私の脇で、司会を兼ねたうちの師匠がまず私を紹介。

続いて、「それでは落語協会理事・私には兄弟子にあたります柳家小三治、口上申し上げます」 の振りで、小三治師匠が口を切ります。

☆新真打の地元・岐阜へ行った際、彼のご両親からとても丁寧なご挨拶をいただいた。しっかりした親御さんに育てられたことは、芸の世界でもきっと役に立つだろう。

☆扇橋の弟子らしく、派手さよりも地道な努力が実を結ぶタイプだと思う。お客様も、長い目で見守っていただきたい。

☆「二ツ目勉強会」などで聴くと、本格的な古典に時おり独創的なクスグリを効果的に入れたりしてくる。そういった意外性も、これから楽しみ。

そんな頻繁に接しているわけでもない私のことを、とても丁寧にお客様に伝えてくださいました。


ああ、前座から二ツ目時代・辛いこともあったけれど、辛抱してよかった。

憧れの大看板が今、私のすぐ隣で。親身になって、身に余る言葉を紡いでくれている。

ありがたい、
涙が出るほどありがたい。

ありがたい、のだけれど…。

ずっと平伏しているうち、だんだん両手が痺れてきました。

こまち3連アイコン.png


なにしろ小三治師匠と言えば、『ま・く・ら』というベストセラー本も出しているくらい、冒頭の語り・マクラが得意でお好きな方。

マクラをまくらに.jpg

独演会だとマクラ50分なんて当たり前、談志師匠から
「近頃小三治はやたらマクラが長いってぇけど、あいつは時給で落語やってんのか?」
毒舌を吐かれるほど。

こま正面アイコン基本形.jpg


対するうちの師匠も、話がよく脱線する人。

話題がすぐ本筋から枝道へ入ってどんどん長くなり、講演の仕事の時など傍で聞いていてハラハラしたことも一度ならずありました。


その‶話の長い両巨頭”の掛け合いですから、3分や5分で終わるわけありません。 最終的には、20分近く二人でしゃべっていたのでは。

両手をつき頭を下げてかしこまっている私には、その倍くらいに感じられたものです。


披露口上が
やがて世間話に

どう長くても話術に長けた二人のこと、お客様は引き込まれて聞き入っています。

ただ隣で聞いていて弱ったのは、うちの師匠の話題が口上からだんだん逸れていくこと。

私の前座時代のことから始まり、永六輔さんプロデュースの旅へ行った時の話になったあたりからその傾向が顕著に。

扇橋
「あの旅、剛ちゃん(タケちゃん=小三治師匠の本名・郡山剛蔵から)も一緒だったろ。 宇奈月温泉のそば屋で食べたカレーうどん、あれうまかったよなー」

ここまで来るともはや披露口上でもなんでもなく、ただの世間話。

小三治師匠も初めは苦笑いしながら 「おい橋本(扇橋の本名)、そんなことよりこいつのことをちゃんと言ってやれよ」 軌道修正してくれていたのですが…。

二人で口上.jpg

何度話を戻してもうちの師匠が脱線するので、しまいには諦めて二人で一緒にフリートーク

こま正面アイコン笑い.jpg




大勢のお客様方の前でお辞儀をしながら聞いた、自分の頭越しに交わされる大先輩どうしの世間話。

それに至近距離で触れることができたのですから、まぁ貴重な体験と言えるでしょうか。


今頃、雲の上では

享年、81歳。

持病のリューマチ苦など決して丈夫とは言えない身体で、ここまでお客様を楽しませて来られたのは凄い。


名演に触れることができなくなるのは、もちろん寂しいですが。

楽屋で身体を冷やさないようにする気づかいや、朝から晩まで大量に服用しなければいけない薬からは解放されました。

長い間、本当にお疲れ様です。

今はそう言って、お見送りしたいと思います。

レトロ小三治師匠.jpg




今頃遥か彼方の雲の上で、小三治師匠は。

自身の師匠・五代目小さんにまず挨拶、それから志ん朝・談志・永六輔など錚々たるメンバーと旧交を温めているのでしょう。


そして、私の師匠・扇橋とも再会。

師匠アイコン.jpg「何だい剛ちゃん、もうこっち来ちゃったの?まだ早いんじゃないの、もっと向こうでゆっくりしてりゃよかったのに。

でも、また会えて嬉しいや。 ちょうどいい、すぐそこに乙な甘味屋があるんだけど、一緒にあんみつでもやらないかい?」

小三治師匠アイコン.jpg
「いいねいいね、行こうじゃねぇか」

師匠アイコン.jpg
「そっちが兄弟子なんだから、剛ちゃんの奢りだぜ」

小三治師匠アイコン.jpg
「何言ってんだい、こっちじゃおめぇの方が先輩だろ」


普段ぶっきらぼうに見せているあの表情を、やんちゃ坊主のように破顔させて。

扇橋と肩を並べて行く、柳家小三治の姿。

目を閉じると、見えてくるような気がします。

蔦飾り線.png

お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

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