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八百八町の労働力を下支えした、江戸時代のハローワーク [江戸のトリビア]


新しい仕事先を求めて、
ハローワーク訪れた黒猫こまち。
ハローワーク訪問.jpg
係の人はちょっと困ってますけど、「食べて遊んで寝る」は確かに猫の主要業務ですからね。


江戸時代の
職業斡旋業者

現代の「ハローワーク」、筆者世代には「職業安定所」という名称もまだ耳馴染みがあります。

江戸時代にも、働き先を求める人たちに就職を斡旋する業者が存在しました。

当時幕府はこういった業者を総じて「人宿(ひとやど)」と呼称していましたが、庶民の間では落語のタイトルにもなっている「口入屋(くちいれや)」と呼ぶことが多かったそうです。
読んで字のごとく”働き口に人を入れる”が語源。

もう少し洒落た言い方で「肝煎(きもいり)」、あるいは「桂庵(けいあん)慶安・慶庵とも)」なんてのもあります。

えっ、こまちはどっちも知ってるって?
きもいりとけいあん.jpg
レバニラ炒めとアニメ『けいおん!』、似てるようでまるで違ってるよ。

「肝煎」は”人のためには自分肝を煎るほど心を砕く=面倒見のいい人”。
「桂庵」は”日本橋に住んでいた医者・大和慶庵が、縁談や職業斡旋に大変長けていた”ことに因んだネーミング。

世界で最初に人口100万を突破した江戸の街。
その市中と街道から江戸への入り口あたりには、合わせて全盛期で390軒の口入業者が店を構えていました。

中でも有名な口入屋の一つが、落語『百川』冒頭にその名が出てくる日本橋・葭町の「ちづか屋」
千束屋.jpg
大きな店の前には、江戸での働き先を探す人々が大勢集まっています。 右上に「葭町の慶庵」と書いてありますね。


おいしい商売・口入屋、
でも責任も重大だった

口入屋の店先に掲げられた、「手代二名」「船頭二名」などといった”求人情報”。
口入れ屋さん訪問.jpg
それを見て中へ入った人が、口入屋の番頭と交渉しているところ。
口入れ屋店先.jpg
いかにもよく喋りそうな女性に、番頭の方が押され気味。

話がまとまり「口入札」と「請状(うけじょう」をもらった人たちは、晴れて奉公先へと派遣されていきます。
口入れ札.jpg

口入屋はもちろんボランティアではありませんから、就職を世話した人たちから給金の8分~1割5分程度を斡旋料として受け取ります。
さらに雇い主からも、
それなりの謝礼金や仲介料がもらえた。

ほとんど元手入らずで始められて儲かるいい商売に思えますが、なにしろ扱っているのが生身の人間ですから。
口をきいた奉公人が実は大変に心邪まな奴で、店の金に手をつけて逐電…。なんてことがあると、身元保証人でもある口入屋が賠償しなくてはいけない。

反対に奉公先の待遇があまりにも良くない、パワハラセクハラが横行していると奉公人から苦情が出た場合。心ある口入屋は雇い主と交渉して、奉公人のために示談金を勝ち取ってくれたり。

人を見る目と面倒見の良さを武器に商いをする口入屋は、その儲けに比例するだけの大きな責任も負っていたのです。


元々の口入屋業務
武家への人材派遣

江戸初期の口入屋での主な業務は、
「武家への軽輩(中間・草履とり・六尺などといった雑役係)人材の斡旋」
でした。

徳川泰平の世が続くにつれ武家階級の実質的な社会的ステータスはどんどん下がり、経済的に困窮する武士が増えていきます。

本来なら家の格に合っただけの家来を常時抱えていなければいけないのに、そんな余裕がない大名や旗本たちが全国に溢れていた時代。

だから表向きは幕府から指定されただけの人数を抱えていることにしてあるのですが、軽輩の多くは員数合わせの実在しない”幽霊家来”。
そういう帳面上の操作で苦しい経済状況をなんとか乗り切ろうと、侍たちも涙ぐましい努力をしていたのですね。

アイコン集.jpg

普段は最低減の家来衆だけで生活し、参勤交代・公用での登城・城や屋敷での対外行事などの際だけ臨時に人数を増員し体裁を繕う。
映画『超高速参勤交代』や浅田次郎の小説『一路』などでは、こういった武家の家来やり繰りの様子がわかりやすく描かれています。
一路.jpg

参勤交代の人員構成は政令により厳密に決められており、予算と相談しながら家来衆を揃えていくわけですが…。
奴さんこまち.jpg
行列の先に立つ槍持ち奴は一番目立つ”参勤交代の顔”ですから、ここは少々無理しても姿かたちが絵になる人材を雇うよう重役たちも苦労して算段するのが常でした。


町人社会での
短期労働者も扱うように

江戸時代も中期に入り町人階級がますます経済的に力を増してくるに従い、豊かで働き口が多い将軍様のお膝元・江戸の街へ他国から出稼ぎに来る人々の数も多くなってきました。

労働力が増えるのは結構なことですが、太田裕美さんの名曲『木綿のハンカチーフ』のように。
木綿のハンカチーフ.jpg
故郷より花のお江戸の方がいいと定住する人ばかりになるのも、また幕府は困る。
人口増加による治安や衛生状態の悪化が懸念されますし、本来なら諸国地元で働くべき人材が江戸に流出して生産性低下→年貢米の減少はもっと避けたい事態。

考えるアイコン.jpg

そこで幕府がとった対策が、「出替(でがわり)奉公」という制度。

「他国からの出稼ぎ人の江戸での就労期間は半年・または一年とし、9月5日・3月5日の期限満了日を迎えたら即刻国へ帰るべし。」
という、現代の就労ビザよりもかなり厳しい規制です。

後には「他国から江戸への移住は原則として認めない」というお触れも出され、長期に江戸で働きたい人は人別帳に名前が記載されない「無宿者」になるリスクも負わされました。

こま右向きアイコン.png

出替によって頻繁に入れ替わる、
下働き労働力。

奉公先を求める人と雇い主の橋渡しを効率的に進めるため、口入屋で斡旋する件数は次第に武家奉公より町人社会でのそれが多くなっていきます。

そして短期契約の季節労働者である出替奉公人の仕事の内容は、準終身雇用の「年季奉公」とは一線を画す単純作業が主でした。
商家の場合だと、小僧や手代がやるような商いに関わることは一切やらせてもらえません。


ええっ、
こんな仕事も斡旋?!

男性なら力仕事・使いっ走りなど、女性は針仕事や子守・乳母などなど、そして両者共通の下働きさまざま。

いろんな仕事を世話していた街の口入屋、出稼ぎ人の出替奉公のほか変わり種のこんな職業も守備範囲でした。
まず、こちら。
用心棒.jpg
賭場や廓などの、用心棒。
腕のたつ浪人者だったら、いい給金で雇ってもらえたそうです。



そして現代の倫理感覚からは考えられない、こんなビジネスも。
絵本時世粧 湯屋入り口の口入れ札.jpg
お囲い者・お妾さん。

歌川豊国・画の『絵本時世粧』中の一幅。湯屋の板塀に貼られた口入屋のビラの前で立ち話している、左側の帖に描かれた女性たち。
向かって右から
①月決め契約のお囲い者(経験者)
②口入屋の女将
③お囲い者志望の女性
④子守
「親身に面倒見るから、うちへ来てみないかい」とやり手の女将、ご婦人たちを勧誘しているのでしょうか。

男女比5:3と圧倒的に女性が少なかった江戸の街。
口入屋を介しお金を払ってまでご婦人と一緒に過ごしたいという男どもが一定数いたからこそ、成立した”職業”と言えるでしょう。


一期一会の
奉公も多かった

なんだか話が生臭い方へ行ってしまったので、おしまいにちょっとほっこりするような川柳を一句ご紹介。
出替わりの
乳母は寝顔に
いとまごい

一年間の奉公が明けて、
国元へ帰る乳母。

ともに過ごした時を懐かしみながら、すやすや眠る子どもに胸の中でお別れの挨拶を。
この子が起きてしまうと、ぐずられて帰りづらくなるから…。
もっともっと一緒にいたいけれど、ごめんね。
新しく来るお乳母さんにも、かわいがってもらってね…。

そんな光景が目に浮かびます。
乳母とこまち.jpg

お互いに限られた期間の奉公だからこそ、かえって凝縮された濃密な時を過ごせるということも多かったであろう江戸の出替奉公。
その仲立ちをした口入屋。

昔も今も人と人を結ぶ縁というものの大切さ、本稿書いていてあらためて実感した次第です。

蔦飾り線.png

お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

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コメント 3

rukyu-san

入船亭扇治 様

☆図書館司書の資格を持つ、おそらく唯一の噺家。さんとの事。

是非「日本橋・葭町の「ちづか屋」の画像の出典は何処〈書籍等)からかお教え願えますか?
よろしくお願い致します。

by rukyu-san (2022-10-24 08:54) 

入船亭扇治

rukyu-san様
コメントありがとうございます。
この画像は手持ちの資料からではありませんので、当方でも出典をすぐには思い出せません。
わかりましたら、引用の手続き等確認のうえ当記事に追記いたします。
よろしくどうぞ。
by 入船亭扇治 (2022-10-25 13:11) 

rikyu-san

入船亭扇治 様

ご返事ありがとうございます。
当方、「千束屋」について、画像を集めています。
よろしくお願い申し上げます。
by rikyu-san (2022-10-25 21:21) 

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