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墨跡褪せぬ、業績と思い出~寄席文字・橘左近師匠追悼~ [落語情報]


2023年12月12日に雲の向こうへ旅立った、寄席文字の大家・橘左近師匠。
受付偲ぶ会.jpg
その偲ぶ会は霧雨の降る2024年2月23日午後、日暮里のホテルラングウッド白鳥の間にて執り行われました。

しめやかな中にも
和やかな笑いが

長野県飯田市出身の左近師匠は明治大学商学部進学のため出てきた東京で落語・寄席に魅せられ、学業半ばにして演芸の世界に身を投じることに。

でも選んだ道は噺家ではなく、寄席文字橘流創始者の一番弟子になることでした。

芝居や相撲の宣伝で使われる文字とルーツを同じくする落語の「ビラ字」に独自の工夫を凝らし「寄席文字」という体系を確立したのは、噺家から書家に転身した橘右近師匠

余白を少なく墨黒々と、まろやかでデザイン性に優れた書体で書かれた看板やめくり等は、寄席・落語会を盛り上げる重要なアイテムの一つとなっています。

1961年に入門した左近師匠は師・右近亡き後の一門を確かな技量と懐深い人間性でしっかりまとめあげ、ご自身も多くの業績を残されました。
遺影左近師匠.jpg

そんな橘流ナンバー2の思い出を語りつつ盃を酌み交わす席には、表でそぼ降る雨のようにしめやかな雰囲気の中にも和やかな談笑が溢れて。

正面祭壇の、弔事にふさわしく薄墨で書かれためくり。
薄墨のめくり.jpg
こういうところにも、演芸関係の方をお見送りするという風情が感じられます。

お別れのご挨拶で壇上に立ったのは、
『笑点』でお馴染み三遊亭好楽師匠
好楽師ご挨拶.jpg
講談人間国宝の神田松鯉先生
松鯉師ご挨拶.jpg
などなど錚々たる顔ぶれ。

あらためて、故人が演芸界でいかに大きな存在だったかを感じる偲ぶ会でした。

個人的にも
ひとかたならぬお世話に

私が学生時代アルバイトさせてもらっていた頃の新宿末廣亭では、左近師匠が看板関係を一手に引き受けていました。10日のうち1日か2日末廣亭に通って来て、2階の仏間でトリの大きな一枚看板や出演者一覧などを一気に書き上げる。

お席亭に言われて休憩中の左近師匠のところへお昼ご飯やお茶を運んでいくと、「おっ児山君、ご苦労さん」と寄席文字大家を前に緊張している私に気さくに声をかけてくれたものです。

半年間だけ通った御徒町の画材店『キンカ堂』での寄席文字教室で、左近師匠が私の後ろに回り手を取って指導してくださったのも懐かしい思い出。

こま正面アイコン基本形.jpg

そして噺家になってからは、さらにいろんな形で左近師匠にお世話になることに。

まず二ツ目昇進時には、手拭いのデザインをお願いしました。
手拭いデザイン.jpg
私の芸名に因んだ扇子を散りばめ、一門の紋・蔦の葉を配した素敵な絵柄。

毎年色変わりで拵えていたので、(来年はどんな色にするかなー)考えるのが楽しみでしたね。
色とりどり手拭い.jpg

手拭いを包むたとう紙も、別誂えで作っていただきました。
のし紙オリジナル.jpg
のしのデザインは、左近師匠オリジナルです。



そして真打になる時は、名入りの扇子を。
扇子真打披露.jpg
こちらの暴れのし、先ほどの手拭いとはまた違った意匠のものになっています。
扇子の袋暴れのし.jpg

真打披露限定の手拭い。
真打手拭い.jpg
この漢字「入」と帆掛け船の絵を組み合わせた文様は、「入船扇蔵」を名乗っていたことのある二代目扇橋ゆかりのものだそうです。
入船文様.jpg



噺家の系図調査をライフワークにしていた左近師匠は、様々な文献にあたって歴史的な事物についての造詣も大変深い方でした。

長年に渡る調査研究の集大成である労作、『東都噺家系圖』(1991年・筑摩書房)。
東都噺家系図.jpg
この本の出版記念会に出席する機会を得たのも、思い出の一つ。
サイン入り噺家系図.jpg



話戻りまして、新しい扇子と手拭いを支度しての真打披露パーティ。2001年秋に椿山荘で開催した私のその披露目で、左近師匠には口上にも並んでいただきました。
真打披露口上.jpg
※画像左より敬称略にて 入船亭扇遊・橘左近・扇治・九代目扇橋・末廣亭北村幾夫社長(現会長)。

胸に墨黒々と
刻まれる思い出

こちらからお仕事として依頼した手拭いや扇子のほかにも、左近師匠からのご好意で頂戴したものがあります。

落語協会員が真打になる時には橘流ご一門がお祝いとして贈ってくださる、塗りの「招き」。
招き扇治.jpg

披露口上のお礼に薄謝をお包みしたところ、そのさらにお返しにと個人的に書いてくださった表札。
扇治表札.jpg

末廣亭の表に掲げる招き看板。
二階招き看板.jpg
毎年暮れには表にかんなをかけ新しい字を書き直すのですが、「もう何度も使って板自体薄くなってるし、よかったら記念でうちに置いときなよ」と持たせてくれたもの。

こま正面アイコン笑い.jpg

そして何よりも、私が一番左近師匠お心遣いを感じたのは。 末廣亭でトリをとった時、二階へ仕事に来ていた師匠が客席後方・桟敷の影でずっと私の高座を見守っていてくれた姿。

暮れには私からのささやかな歳暮への返礼とともに、その時の高座についての感想と励ましのお言葉を添えた直筆のお手紙もいただきました。



演芸界への多大な貢献と、私の胸にもたくさんの思い出を残して旅立った橘左近。

締めのご挨拶で、ご子息がとても良いことをおっしゃっていました。
向こうの世界には噺家の名人がいっぱいいて、連日豪華な顔ぶれの興行が賑やかに行われているだろうとは、よく言われることですが…。 橘流の寄席文字書きであっちへ行ったのは、右近師匠とうちの父だけですので。
今頃は二人大忙し・でも嬉しそうに、また筆を運んでいることでしょう。

本当に、その通りだと思います。

右近左近師弟が力を合わせた看板が掲げられる「天国名人寄席」の風景思い浮かべ、謹んで寄席文字大家のご冥福をお祈り申し上げる次第でございます。
左近師を追悼ポスト.jpg
※x(旧Twitter)への投稿より。

蔦飾り線.png

入船亭扇治・記

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