「下げるべき時には、きっちり頭を下げろ」今に生きる、亡き師匠・扇橋の教え [落語情報]
携帯電話の普及に伴い、2021年6月30日をもって完全終了した「新幹線の電話サービス」。
100円玉握りしめ
「今から帰るんで、CIAOちゅ~る用意しといてね!」
うちへ電話しようとした黒猫こまち、呆然。
「今から帰るんで、CIAOちゅ~る用意しといてね!」
うちへ電話しようとした黒猫こまち、呆然。
思い出す
見習い時代の大しくじり
見習い時代の大しくじり
新幹線開業翌年の1965年から、56年間サービスを続けてきた車内公衆電話。
食堂車の時と同じように、廃止直前には多くの鉄道ファンが写真を撮りに来ていたそうです。
そのカンヅメ生活中・お手洗いに立って目にした「サービス終了」の札が貼られた緑の電話機が、私の中の古い記憶を呼び覚まします。
前座として正式に弟子入りする前に当人の了見や適性を見極めるため、うちの師匠はだいたい半年くらいは見習いの期間を設けていました。
師匠宅の掃除やお使いなどしながら、噺家として最低限必要な礼儀作法と芸の基本を教わる時間。
寄席の楽屋や脇の仕事にはまだ連れて行ってもらえませんが、東京駅や羽田空港までの鞄持ちは任されるようになった頃。
入門三月目で修業生活にもある程度慣れて、ちょうど気の緩む時期だったのでしょう。
静岡での学校公演のため早朝に家を出る師匠を、東京駅まで送っていくことになっていた当日。
前夜の夜更かしがたたった私は、ものの見事に寝坊・遅刻してしまったのです!
「クビにするよ」
なんとか挽回を…
なんとか挽回を…
その頃はこうやって起こしてくれるこまちはいませんから、窓から差し込む陽の光で目覚めた私。
枕もとの時計を見ると、師匠から「うちに来い」言われた時刻をはるかに過ぎている。
(いけねっ、寝坊した!)
慌てて飛び起きると、顔を洗って身支度をしアパートを飛び出します。
慌てて飛び起きると、顔を洗って身支度をしアパートを飛び出します。
歩いて2分の師匠宅に、30秒で到着。
表の扉は鍵がかかっていなかったので開けて中に入り、玄関先で「すいません、遅刻しました!」土下座していると、奥からおかみさんが出て来ました。
おかみさんにそう言われて「申し訳ございません…」頭を下げ肩を落として、師匠宅を後にします。
馬券を買って
汚名挽回?
汚名挽回?
トボトボと戻ったアパートの四畳半、膝を抱えて
しょげている私に追い打ちをかけるように、あることが脳裏にひらめきます。
その日は土曜日で、前日に競馬好きの師匠から
頼まれていた私。
しょげている私に追い打ちをかけるように、あることが脳裏にひらめきます。
その日は土曜日で、前日に競馬好きの師匠から
頼まれていた私。
このイラストのように、競馬新聞と馬券を手に目の色変えて馬に声援を送る。
うちの師匠は、そういう殺気だった競馬はやりませんでした。
うちの師匠は、そういう殺気だった競馬はやりませんでした。
ことより
なんて都市伝説を洒落半分で信じながら、100円単位で枠連を何点か買うだけのの~んびりとした遊び方。
なんて都市伝説を洒落半分で信じながら、100円単位で枠連を何点か買うだけのの~んびりとした遊び方。
それでも俳句と並んで、師匠なりに楽しんでいる趣味の一つ。
鞄持ちが務まらなかっただけでなくその楽しみにしていた馬券まで買い損なったとあれば、これはもうクビ確定です。
しかし逆に言うと、今から師匠に聞いて馬券だけでも買うことができたら…?
ひょっとしたら、いくばくか汚名挽回につながるのではないか。
学校公演事務所から送られてきたコース表を私も見ていましたから、師匠の乗る新幹線の列車名はわかっています。
今思うと浅はかな考えですが、その時は夢中ですから。
すぐアパートの別棟に住んでらっしゃる大家さんに訳を話し、電話を借りて師匠が乗っている新幹線にかけてみたのです!
2004年でこのサービスは終わっていますが、当時はまだ
「列車内着信」ということが可能でした。
けっこう高額なサービス料がかかりますが、今はそんなことを言っていられません。
祈るような気持ちで受話器を握りしめ、新幹線通話センターからの応答を待つクビ寸前の見習い噺家。
1時間以上かけ続けましたが、当然師匠に私の電話がつながることはありませんでした…。
沈黙ののち
師匠が教えてくれたこと
師匠が教えてくれたこと
万事休す。
苦肉の挽回策も徒労に終わった私は、その夜9時過ぎに再び師匠宅を訪れました。
インターフォンを押すとおかみさんが出て来て、
言われた私はおずおずとダイニングキッチンに入り、Pタイルの床に両手をつき
蚊の鳴くような声で何とかそれだけ言って、あとはただ頭を下げていることしかできません。
蚊の鳴くような声で何とかそれだけ言って、あとはただ頭を下げていることしかできません。
テーブルに肩肘ついてテレビを眺めながら、黙ってタバコをふかしている師匠。
沈黙の時間が続いたのは、実際には5分ほどだったでしょうか。
私には無限に感じられる時が流れたあと、ようやくタバコを灰皿で揉み消すと師匠がこちらを向いてくれました。
「お前、今朝遅刻したあとな…」
声を荒らげることなく、静かに語り始める師匠。
声を荒らげることなく、静かに語り始める師匠。
懇々と諭してくれたあと師匠は、「今回は初めてだから」というので私のしくじりを許してくれました。
「頭を下げる」
簡単なことだけれど…
簡単なことだけれど…
なんとか首の皮一枚で、破門を免れた私。
そのあとも細かいしくじりは山とやらかしましたが、師匠とおかみさん・兄弟弟子たちに助けられ1987年3月に正式に前座として落語協会に登録してもらうことができました。
そうなると晴れて駅までの送り迎えだけでなく、旅先までお供することができるように。
そんな師匠との旅、扇辰師も一緒。
2001年には、真打に昇進させていただきました。 ※鈴本演芸場楽屋にて。
でもそれができない大人が、世間にはたくさんいるのが現実。
私自身も万たびそうできているかというと心もとないですが、できるだけあの時の師匠の教えは守っていきたいと思っています。
※その扇橋の弟子・孫弟子競演の『入船亭一門会』、10月30日18時より池袋演芸場にて開催。
☆senji1365@gmail.com
皆様のご来場、心よりお待ち申し上げております。
お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝
入船亭扇治拝