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八百八町の労働力を下支えした、江戸時代のハローワーク [江戸のトリビア]


新しい仕事先を求めて、
ハローワーク訪れた黒猫こまち。
ハローワーク訪問.jpg
係の人はちょっと困ってますけど、「食べて遊んで寝る」は確かに猫の主要業務ですからね。


江戸時代の
職業斡旋業者

現代の「ハローワーク」、筆者世代には「職業安定所」という名称もまだ耳馴染みがあります。

江戸時代にも、働き先を求める人たちに就職を斡旋する業者が存在しました。

当時幕府はこういった業者を総じて「人宿(ひとやど)」と呼称していましたが、庶民の間では落語のタイトルにもなっている「口入屋(くちいれや)」と呼ぶことが多かったそうです。
読んで字のごとく”働き口に人を入れる”が語源。

もう少し洒落た言い方で「肝煎(きもいり)」、あるいは「桂庵(けいあん)慶安・慶庵とも)」なんてのもあります。

えっ、こまちはどっちも知ってるって?
きもいりとけいあん.jpg
レバニラ炒めとアニメ『けいおん!』、似てるようでまるで違ってるよ。

「肝煎」は”人のためには自分肝を煎るほど心を砕く=面倒見のいい人”。
「桂庵」は”日本橋に住んでいた医者・大和慶庵が、縁談や職業斡旋に大変長けていた”ことに因んだネーミング。

世界で最初に人口100万を突破した江戸の街。
その市中と街道から江戸への入り口あたりには、合わせて全盛期で390軒の口入業者が店を構えていました。

中でも有名な口入屋の一つが、落語『百川』冒頭にその名が出てくる日本橋・葭町の「ちづか屋」
千束屋.jpg
大きな店の前には、江戸での働き先を探す人々が大勢集まっています。 右上に「葭町の慶庵」と書いてありますね。


おいしい商売・口入屋、
でも責任も重大だった

口入屋の店先に掲げられた、「手代二名」「船頭二名」などといった”求人情報”。
口入れ屋さん訪問.jpg
それを見て中へ入った人が、口入屋の番頭と交渉しているところ。
口入れ屋店先.jpg
いかにもよく喋りそうな女性に、番頭の方が押され気味。

話がまとまり「口入札」と「請状(うけじょう」をもらった人たちは、晴れて奉公先へと派遣されていきます。
口入れ札.jpg

口入屋はもちろんボランティアではありませんから、就職を世話した人たちから給金の8分~1割5分程度を斡旋料として受け取ります。
さらに雇い主からも、
それなりの謝礼金や仲介料がもらえた。

ほとんど元手入らずで始められて儲かるいい商売に思えますが、なにしろ扱っているのが生身の人間ですから。
口をきいた奉公人が実は大変に心邪まな奴で、店の金に手をつけて逐電…。なんてことがあると、身元保証人でもある口入屋が賠償しなくてはいけない。

反対に奉公先の待遇があまりにも良くない、パワハラセクハラが横行していると奉公人から苦情が出た場合。心ある口入屋は雇い主と交渉して、奉公人のために示談金を勝ち取ってくれたり。

人を見る目と面倒見の良さを武器に商いをする口入屋は、その儲けに比例するだけの大きな責任も負っていたのです。


元々の口入屋業務
武家への人材派遣

江戸初期の口入屋での主な業務は、
「武家への軽輩(中間・草履とり・六尺などといった雑役係)人材の斡旋」
でした。

徳川泰平の世が続くにつれ武家階級の実質的な社会的ステータスはどんどん下がり、経済的に困窮する武士が増えていきます。

本来なら家の格に合っただけの家来を常時抱えていなければいけないのに、そんな余裕がない大名や旗本たちが全国に溢れていた時代。

だから表向きは幕府から指定されただけの人数を抱えていることにしてあるのですが、軽輩の多くは員数合わせの実在しない”幽霊家来”。
そういう帳面上の操作で苦しい経済状況をなんとか乗り切ろうと、侍たちも涙ぐましい努力をしていたのですね。

アイコン集.jpg

普段は最低減の家来衆だけで生活し、参勤交代・公用での登城・城や屋敷での対外行事などの際だけ臨時に人数を増員し体裁を繕う。
映画『超高速参勤交代』や浅田次郎の小説『一路』などでは、こういった武家の家来やり繰りの様子がわかりやすく描かれています。
一路.jpg

参勤交代の人員構成は政令により厳密に決められており、予算と相談しながら家来衆を揃えていくわけですが…。
奴さんこまち.jpg
行列の先に立つ槍持ち奴は一番目立つ”参勤交代の顔”ですから、ここは少々無理しても姿かたちが絵になる人材を雇うよう重役たちも苦労して算段するのが常でした。


町人社会での
短期労働者も扱うように

江戸時代も中期に入り町人階級がますます経済的に力を増してくるに従い、豊かで働き口が多い将軍様のお膝元・江戸の街へ他国から出稼ぎに来る人々の数も多くなってきました。

労働力が増えるのは結構なことですが、太田裕美さんの名曲『木綿のハンカチーフ』のように。
木綿のハンカチーフ.jpg
故郷より花のお江戸の方がいいと定住する人ばかりになるのも、また幕府は困る。
人口増加による治安や衛生状態の悪化が懸念されますし、本来なら諸国地元で働くべき人材が江戸に流出して生産性低下→年貢米の減少はもっと避けたい事態。

考えるアイコン.jpg

そこで幕府がとった対策が、「出替(でがわり)奉公」という制度。

「他国からの出稼ぎ人の江戸での就労期間は半年・または一年とし、9月5日・3月5日の期限満了日を迎えたら即刻国へ帰るべし。」
という、現代の就労ビザよりもかなり厳しい規制です。

後には「他国から江戸への移住は原則として認めない」というお触れも出され、長期に江戸で働きたい人は人別帳に名前が記載されない「無宿者」になるリスクも負わされました。

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出替によって頻繁に入れ替わる、
下働き労働力。

奉公先を求める人と雇い主の橋渡しを効率的に進めるため、口入屋で斡旋する件数は次第に武家奉公より町人社会でのそれが多くなっていきます。

そして短期契約の季節労働者である出替奉公人の仕事の内容は、準終身雇用の「年季奉公」とは一線を画す単純作業が主でした。
商家の場合だと、小僧や手代がやるような商いに関わることは一切やらせてもらえません。


ええっ、
こんな仕事も斡旋?!

男性なら力仕事・使いっ走りなど、女性は針仕事や子守・乳母などなど、そして両者共通の下働きさまざま。

いろんな仕事を世話していた街の口入屋、出稼ぎ人の出替奉公のほか変わり種のこんな職業も守備範囲でした。
まず、こちら。
用心棒.jpg
賭場や廓などの、用心棒。
腕のたつ浪人者だったら、いい給金で雇ってもらえたそうです。



そして現代の倫理感覚からは考えられない、こんなビジネスも。
絵本時世粧 湯屋入り口の口入れ札.jpg
お囲い者・お妾さん。

歌川豊国・画の『絵本時世粧』中の一幅。湯屋の板塀に貼られた口入屋のビラの前で立ち話している、左側の帖に描かれた女性たち。
向かって右から
①月決め契約のお囲い者(経験者)
②口入屋の女将
③お囲い者志望の女性
④子守
「親身に面倒見るから、うちへ来てみないかい」とやり手の女将、ご婦人たちを勧誘しているのでしょうか。

男女比5:3と圧倒的に女性が少なかった江戸の街。
口入屋を介しお金を払ってまでご婦人と一緒に過ごしたいという男どもが一定数いたからこそ、成立した”職業”と言えるでしょう。


一期一会の
奉公も多かった

なんだか話が生臭い方へ行ってしまったので、おしまいにちょっとほっこりするような川柳を一句ご紹介。
出替わりの
乳母は寝顔に
いとまごい

一年間の奉公が明けて、
国元へ帰る乳母。

ともに過ごした時を懐かしみながら、すやすや眠る子どもに胸の中でお別れの挨拶を。
この子が起きてしまうと、ぐずられて帰りづらくなるから…。
もっともっと一緒にいたいけれど、ごめんね。
新しく来るお乳母さんにも、かわいがってもらってね…。

そんな光景が目に浮かびます。
乳母とこまち.jpg

お互いに限られた期間の奉公だからこそ、かえって凝縮された濃密な時を過ごせるということも多かったであろう江戸の出替奉公。
その仲立ちをした口入屋。

昔も今も人と人を結ぶ縁というものの大切さ、本稿書いていてあらためて実感した次第です。

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入船亭扇治拝

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「煤払い」で暮れゆく、江戸の年の瀬 [江戸のトリビア]


年末の大掃除を、かいがいしく手伝う黒猫こまち。
すす払いまっくろくろすけ.jpg


掃除の基本
「上から下へ」

こまちがやっているように、昔ながらの年末大掃除は天井や鴨居に溜まった一年の汚れを落とす「煤払い」から始まりました。

武家煤払いの図 歌麿.jpg
喜多川歌麿『武家煤払いの図』(東京国立博物館所蔵)


明かりはロウソクか行灯・暖房と調理は炭火を用いた昔の日本家屋は、とにかく高い所が真っ黒にすすけます。

普段はそこまでやらない家の中の掃除も、暮れは特別。
あらたまの年神様を迎えるための、大切な支度ですからね。


高所の煤・埃をはたいて落とし、それが下に落ちきってから障子・襖・壁をきれいに。
そしておしまいに、床・畳・廊下を掃き掃除と雑巾がけで清める。

私も子どもの頃大晦日の掃除を手伝う時、父母から”掃除は上から下”と何度も注意されたもの。

噺家になってから師匠宅も同じ掃除の仕方だったので、「そういうことを教えてくれた親御さんに感謝しな」扇橋が言ってくれたのを覚えています。


江戸では
早めの煤払い

せっかくきれいにしても、正月前にまた家の中がすすけてしまってはしょうがない。

できるだけ年越しぎりぎりに大掃除をやりたいのが、人情というもの。
江戸時代は士農工商とも、師走の20日から煤払いを始めるのが通例でした。


しかし江戸城では三代将軍家光没後・祥月命日である20日からバタバタ埃をたて始めるのは不謹慎と、日程を前倒しして13日から城中煤払いを行うように。

それが庶民にも浸透し、江戸の煤払いは師走13日からが定着。

この日になるといっせいに街の方々で煤払い大掃除が始まり、年の瀬気分が一気に盛り上がったと言います。

『東都歳時記』より、大きな商家の大掃除風景。
大きな商家のすす払い.jpg
絵の中ほどには、酒肴を運んでくる奉公人と宴会をしている人たちの姿が。
大掃除もひと段落、これから無礼講のお疲れ会が始まろうというところですね。


縁起物でもあった
煤払い専用アイテム

前項の絵の中で、左の方で掃除をしている奉公人が使っている柄の長いはたきのような道具。
すす払い棒アップ.jpg

「ススオトコ」と呼ぶ地方があったそうですが、調べたところ江戸では特に正式名称はないようです。

松迎えの時に採って来た・買った竹の先に、藁や笹を束にしてくくりつけたもの。

この図版の方が、少しわかりやすいかな。
子どもたちもすす払い.jpg
この家の子なのか、小僧さんなのか…。
右側の男の子、棒だけはずしてチャンバラかなんかやってたんでしょうね。おばさんから怒られてます。

こま正面アイコン笑い.jpg


年末煤払いはお寺の行事に起源があるので、市井の大掃除でもこの煤払いアイテムは神聖視されていました。

笹をつけるのは、汚れを落とすと共に掃いた箇所を清めるため。

必ず二本一対で使われ、煤払いが済んだら丁寧に家の門口に立てかけてお神酒や小豆飯をお供え。

年明けまで大事に保管してから、左義長で焼いたり。お供え物と一緒に船に乗せ、川に流したりしたそうです。

単なる清掃用具ではなく、新年を迎えるための縁起物でもあった”煤払いアイテム”。

だったらやっぱり、何かしらもっともらしい名前が付きそうなものですが…。


煤払いが済んだら
さぁあの恒例儀式!

『東都歳時記』図の真ん中右寄りでは、お店の旦那様か番頭さんらしき人が皆から胴上げされています。
掃除後胴上げ.jpg

ネットで「江戸 大掃除 煤払い」なんでキーワードで検索すると上位に出る記事の多くが取り上げるほど、この頃の煤払い完了胴上げは盛んに行われていたようです。


『豊国十二ヶ月(十二月煤掃)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
すす払い胴上げ.jpg
まだ右端には畳が積み上げられ、大掃除も半ばなんですが…。

煤払いが終わったらいったん胴上げというのが、当時の吉例だったんでしょうか。


『千代田之大奥 御煤掃』(国立国会図書館デジタルコレクション)
大奥掃除2.jpg
男連中だけじゃなく、大奥でもお局さんをお女中衆が「そーれ!」と胴上げ。

日頃小言を言われているご婦人が、どさくさに紛れてお局さんのお尻をつねったりしたのかも。


わが家の大掃除に
心強い(?)助っ人登場

ついつい先延ばしにしてしまい師走も20日過ぎてから、やっとわが家でも大掃除らしきことと部屋の冬支度を始めました。

朝から好天に恵まれたこの日は、ダイニングキッチンの掃除と模様替え。

両親と師匠の教え通り天井の埃をはたき、流し周りをきれいに磨きあげ。
仕上げは今まで敷いてあったニトリの「冷感ラグ」を、毛足の長い絨毯(風カーペット)に替える作業。

女房が出払って孤軍奮闘している私の前に、ここへ来て頼もしい(?)助っ人が現れました!

言わずとしれた、ブログ共同執筆猫。
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大事な作業をしている人間の、一番肝心な(邪魔されたくない)瞬間を狙ってすり寄ってくる。
「猫あるある」の一つ。


カーペット交換のためずらしたテーブルで、なにやらたくらむ黒猫。
テーブルで虎視眈々.jpg

そして冬物を敷き始めるやいなや、その上に乗っかるこまち。
どかないからね.jpg
さっきまで表で干してあったので、お日様の匂いがしてあったかいんでしょう。

気持ちはわかるけど、今は困るんだよなー。

「どいて」と頼んでもこういう時に猫が言うことをきくはずもなく、敷きかけのカーペットの上で悠々と身繕いを始めました。
身繕いカーペット.jpg

3.5キロの生き物が向こう端に乗っていると、けっこう重くて敷物を思うように動かせません。
仕方ないので休憩がてら、カーペットの下に手を入れてこまちを誘ってみます。
カーペットで遊んでしまう.jpg
おー、食いついた。
面白いなー。

…って猫と一緒に遊んでる場合じゃないのです。
陽のあるうちに、作業は終わらせたいですからね。

こまち3連アイコン.png


じゃあこまち、ここはいい子だからイラストになって。
玄関の掃除を、お手伝いしてきてくれるかな。
ごほうびには、CIAOちゅ~るをあげるよ。

やったー、了解!
いそいそと竹箒持って、表に行く黒猫。

しめしめ、この隙にカーペット敷いちゃおう…

門松ナイスショット.jpg


猫の手を
借りて手間取る
大掃除


☆江戸豆知識
農村部では大掃除の間女性・子供・年配者を親類や近所の家に預かってもらう「ススニゲ」という風習があり、受け入れ先は「ススヤド」として食事一切の面倒をみた。
 

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入船亭扇治拝

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江戸の遊び心全開カレンダー!太陰暦時代の「大小暦」が面白い [江戸のトリビア]


2021年も、はや師走。

ホームセンター入ってすぐの催事コーナーには干支のお供え餅がうず高く積み上げられ、年越し気分を盛り上げています。
ねずみと虎のお供え.jpg


協会カレンダーに
身が引き締まる思い

毎年この時期は落語協会特製カレンダーをお客様に送る作業が、わが家の恒例行事。

林家木久扇師匠のおめでたい干支イラストが巻頭を飾る、4枚組の楽しいカレンダー。
アップ初ごよみ.jpg
さしあげた方々には、けっこう喜んでいただいております。

大掃除すませた部屋に飾ると、(ああ、新年を迎えるんだな)と新たに身の引き締まる思い

寝ている猫も、
思わず飛び起きるほど。
初ごよみ.jpg

新ごよみ
猫も姿勢を
正しけり

日付より
月の大小が大事!

カレンダー発送作業しながらふと(江戸時代の暦って、どんな感じだったんだろう)と思い、軽く調べてみることに。

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当時も幕府お抱えの「暦博士」が算定した、かなり精度の高いカレンダーは存在していたそうです。

毎日の月齢・干支・六曜などを記した伊勢神宮発行の暦は、お伊勢詣りの良いお土産に。
伊勢暦.jpg

しかし普段庶民の生活に馴染んでいたのはそういった暦より、「大小暦」と呼ばれるもの。

その名の通り、一年のうちで大の月・小の月はいつかを表したカレンダー。



太陰暦に基づき3年に一度閏月が足される、江戸時代の月日の数え方。

現代のように月の大小は一定ではなく、その年によって複雑に変わるものでした。

☆長屋の店賃や米代油代など、月々の支払いが多くある。
☆毎月の年中行事に、現代人より敏感で熱心。
☆日常的に、質屋をよく利用する。

そんな江戸の人たちにとっては晴れた晩空を見上げればだいたいわかる今日の日付より
今月は30日まである大の月なのか・29日しかない小の月か
を知ることの方が、まず重要だったのです。


月の大小は
語呂合わせで覚えよう

「西向く侍」。
夕陽の武士.jpg
現代でも使われている、小の月の覚え方ですね。

江戸時代にはこういった語呂合わせでの月の大小記憶法が、数多く考案されていました。

宝井其角の句
大庭を白くはく霜師走かな

庭の「に」が二、「白くはく」は 四・六・八・九。 霜は「霜月」=十一・師走は十二をそれぞれ表し、「大庭」ですからこれは皆大の月。

元禄十年(1697)の暦を、うまく詠みこんだ語呂合わせ句になっています。




大好きは雑煮草餅柏餅盆のぼた餅亥の子寒餅
その時期の餅料理を和歌の調子に乗せて、大の月である正月・三月・五月・七月・十月・十二月を表現。

餅好きが大喜びしそうな狂歌ですね。
餅三昧.jpg


大小暦は
目で楽しむ判じ絵に

完成度の高い大小記憶の語呂合わせは口づてに伝えられるだけでなく、絵に描かれて庶民の間に浸透していきます。


濁れる仮名は大.jpg
これは「”おさまるくにそめてたけれ”の文中、濁りをつけて読める仮名が大の月。それが上から何番目かで、何月かがわかる」という趣向。




落語家元祖の一人・鹿野武左衛門の笑話集『鹿の巻筆』中の一編、『表具屋の掛物』。
吉弓の掛け軸.jpg
「吉弓」墨黒々と書かれただけの掛け軸が、月の大小を表しているというのです。

その心は
「大」という漢字は第一画が横棒、「小」は真ん中の縦棒から書き始める。
だから「吉弓」を当時の書き順で記すと、横の棒が小の月・縦棒が小の月。

吉弓大小暦解説.jpg

掛け軸を見ている四人のうち、正解を言い当てたのはお侍。
武士だけに、「大小」には詳しい…ということでしょうか。

こま正面アイコン笑い.jpg


こういった趣向は時代とともにさらに凝ったものになり、絵の中に数字などを隠す判じ絵としての「大小暦」が大人気に。


羽根つきをする二美人.jpg
羽根つきに興じる大柄な女性と小柄な女性、それぞれの着物の柄に「大の月 二・四・六・八・九・十二」「小の月 正・三・五・七・十・十一」の数字が隠れています。




張子の虎と元気に飛ぶ雀に隠された数字、皆様は見つけることができますか?
虎の大小暦.jpg
雀の大小暦.jpg


こういった趣向を凝らした大小暦の流行は庶民が多色刷りの絵に親しむ機会を増やし、日本が誇る「錦絵」へと繋がっていくのでした。


今に残る大小暦で
遊んでみませんか?

多くの名作・怪作を産んだ大小暦。

明治維新で太陽暦が取り入れられ、武士・大商人ら大小暦のお得意様だった富裕層が没落するとあっという間に姿を消したそうです。

その掉尾を飾る作品の一つが、鬼才・河鍋暁斎の『ええじゃないか』
河鍋暁斎ええじゃないか.jpg
幕末に大流行した大勢で踊り騒ぐ、一種の集団ヒステリー状態を描いたこの大作も大小暦。


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国会図書館のこのコーナーでは、ほかにも大小暦がクイズ形式で何点か紹介されています。
日本の暦 大小暦クイズ

江戸の遊び心を今に伝える趣向を凝らした作品の数々、初めての方はぜひこの機会に触れてみられてはいかがでしょう。

※参考文献
『大小暦を読み解く』矢野憲一・著
『江戸の絵暦』岡田芳朗・著

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お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。またのご訪問、お待ち申し上げております。
入船亭扇治拝

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400年前から大人気、江戸のファストフード二種 [江戸のトリビア]


猫に大人気のハンバーガーチェーン『にゃんドナルド』で、テイクアウトのこまち。
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江戸の街でも
ファストフード大繁盛

新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛・飲食店のアルコール抜き時短営業の影響により、爆発的に増えた「テイクアウトできます」のお店。

フレンチの名店や行列のできるラーメン屋さんなど、これまでなら考えられなかったような店が持ち帰りを始めました。
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そんな中でまた存在感を増しているのが、元々テイクアウトに力を入れていたハンバーガーショップ・牛丼屋さんといったファストフード店。


そして時代を遡った江戸時代・将軍様のお膝元であるわが国の百万人都市は、ファストフード産業が大繁盛の街でもありました。

なぜ江戸の街でそんなにお手軽外食が流行ったのか、大きな要因として次の三つが挙げられます。
①女性より料理が苦手な、男の数が圧倒的に多かった。

②火災防止のため、火の扱いにはついては幕府から厳しく指導されていた庶民。屋内での直火を使っての調理に、抵抗感が強かった。

③江戸に大勢いる職人たち。仕事の合間に間食することが多い彼らの、「手っ取り早く食べられて腹八分目」というニーズに応えて。



匂いがたまらない!
江戸の一番人気

数ある江戸のファストフードの中で、No.1人気を誇ったのは「天ぷら」

南蛮渡来の揚げ物・のちにはお座敷での高級料理にも発展していきますが、日本に入って来た時はいたって安価な庶民の味覚でした。

串に刺した穴子・芝海老・こはだ・貝柱・するめ等、一本あたり四文(約80円)が相場。

『串カツ田中』さんのメニューと比べると、素材にもよりますが現代よりかなりお安い価格設定。
串カツ1.jpg


天ぷらが流行り出した頃は上方を中心とした油商人の組合が値段を高めに設定する”油カルテル”が強く、胡麻油は大変な高級品。

黎明期天ぷらは、安い獣脂で揚げるのが定番でした。

でもその素朴で刺激の強い油の風味が、かえって庶民の間では大人気に。

”部活帰りに食べた、お肉屋さんのラードで揚げたコロッケ”
のおいしさご存知の方なら、おわかりいただけるでしょう。

街角の屋台で揚げている天ぷらの匂いは、小腹が空いた江戸っ子たちの食欲への訴求力MAX!

匂いの誘惑に耐え切れず、天ぷら屋台に首を突っ込む浪人者。
拡大 屋台の天ぷら屋.jpg
※鍬形恵斎『近世職人尽絵巻』東京国立博物館所蔵画像を、切り取り拡大して引用。


浪々の身とはいえ腰に二本たばさむ者が、往来で庶民の味にかぶりつくのは気がひけるのでしょう。
浪人、顔を手拭いで隠して食べています。




こちらは務めの合間せめてもの息抜き、持ち帰りして来た揚げ立て天ぷらを前にうっとりの遊女。
天ぷら食べる女性とこまち月.jpg
※月岡芳年『風俗三十二相 むまそう』国会図書館デジタルコレクションより、加工して引用


ひげを生やした食いしん坊お月さまが、空からよだれを垂らさんばかりに見つめています。


スピード重視の
江戸前寿司

手軽につまめる寿司も、江戸時代にはよく食べられた屋台の味。

 ☆寿司の始まりは、関西の「なれずし」。米と魚を一緒に酢で漬け込み、1か月~3か月かけて発酵させたもの。  

☆その発酵時間を短縮するため、ふた付の箱に食材を入れ上から圧迫する「押しずし(箱ずし)」の技法が考案される。  

☆文政三年(1820)頃、さらに気の短い江戸っ子向けに最初から米飯を酢飯に調味・食材を乗せたり巻いたりする「はやずし」が登場。現代の握り寿司・巻き寿司の形に近づく。
というのが、江戸前寿司成立の歴史。

「早く作って、早く食べられる」。
製法と食事の形態が、究極までスピードアップされているんですね。

目にも止まらぬ技で寿司を握り、自分で食べちゃう黒猫板前。

お寿司はファストフード.gif




当時の江戸前握り寿司のお値段、車海老・白身・こはだ・まぐろ・のり巻き等は一貫四文。その頃は高価だった玉子焼きは十六文。

最新技術でコスト削減、リーズナブルな味を提供!コロナ下での衛生管理にも力を入れる、人気No.1の回転寿司チェーンでご紹介した回転寿司チェーン『スシロー』、郊外店の一番安い皿は二貫で110円

江戸の寿司は一貫約80円、今より高かったのかというそうでもありません。

江戸東京博物館に当時の寿司屋台の模型が展示されており、それを見ると今の寿司よりひと回りからふた回り大きいのがわかります。
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そんな食べでがある江戸のお寿司、深川安宅六間堀にあった超人気店『松の鮓』からお持ち帰りのお母さん。

松の鮓とこまち.jpg
※歌川国芳『縞揃女弁慶 安宅の松』東京国立博物館所蔵画像を、加工して引用。

お子さんが、「早くちょうだい!」、「はいはい、今とってあげますよ」とお母さん。

気をつけて、後ろから食いしん坊猫が狙っていますよ。


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花のお江戸にもあった、歓楽地への時短要請~コロナ禍の今こそ見習いたい、八代将軍の粋な政策 [江戸のトリビア]


今回のコロナ禍が、
後世「歴史」になった時。

状況を象徴するキーワードの一つになるであろう、「飲食店への営業時間短縮要請」=詰めて「時短」
時短営業.jpg


今回が初めてではない
お上の時短要請

本記事冒頭をiphoneで執筆中、「じた」と打ち込むと変換候補2番目に「時短」が出てきました。
私はこれまでその言葉をスマホで打ったことはないので、それだけ人口に膾炙した用語になっているという証左でしょう。

要請を受けて本来なら書き入れの時間帯前に、営業終了なさっているお店の方々。
お仕事や所用・行楽帰りの食事を、楽しみにしている皆様。

そういう方のご苦労はお察ししますし、私も飲食店さんでの落語会がいくつか中止になっています。

私の田舎では今でも、一番近いコンビニまで歩くと20分くらい。
夜9時以降までやっている飲食店は、スナック系のほかは駅前に2・3軒あるかないか。

でも都市部に暮らす現代人は、どんどん宵っ張りになって。
お店などそれを取り巻く環境も、時代に応じて変化。

その中での時短要請、各本面に大きな影響を及ぼしていることは私なりに理解したうえで。

「庶民が飲食や娯楽を楽しむのに、時の権力者から時間制限を設けられた」ケースは、戦時中は別として今回が初めてではないこと。
ご参考までに、本記事で触れてみたいと思います。

今を遡ること400年前の、江戸時代。
この超有名人気スポットが、営業の形態と時間をお上から厳しく規制された時期がありました。
東叡山 花見.jpg


「上様が寝られぬ」
お寺からのクレーム


当時の江戸人口のおよそ半数が出かけたとされる、春のイベント「お花見」。
上野のお山はその中でも常に、No.1の人出を誇っていました。

しかし享保年間(18世紀初め)に入り、事情が一変。
桜の樹が立ち並ぶ寛永寺から幕府に、厳しいクレームが寄せられたのです。

「春先の花見客の騒々しきこと、目にあまる!
畏れ多くもかしこくも、代々将軍様の御魂をお守りする霊廟を前に町人どもの飲めや歌えや。
これでは上様が、ゆっくりお休みになることはできませぬ。

即刻触れを出し、当地での花見は静粛に執り行うよう下知されたし!」。

平たく言えば、
こういうことをすると
花見でラジカセ.jpg

こうなるから、
徳川家康怒る.jpg

なんとか手を打てということ。

徳川将軍家の墓所を守るお寺からこう言われたら、断るわけにはいきません。 そこで当時の八代将軍・吉宗、「相わかり申した」と寛永寺の要請を受け入れます。

そして上野のお山入口・江戸市中各地に設けられた広報ボード「高札」にて、
「今後上野での花見は、
 極力静かにいたせよ」
とのお触れを出しました。


上野のお山の、
厳しい取り締まり

規制の範囲は時代によって少し変わりますが、基本線としては以下の通り。

☆茶店や料理小屋・まん幕を張った中での飲食は可。
☆ただし、お酒はご法度。
☆控えめな歌舞は可、音曲は不可
※歌い踊るのはあまりうるさくなければ認められていましたが、それに三味線や笛太鼓などの演奏を入れちゃダメだかんね!ということ。


そしてもう一つ、重要な上野での禁止事項があります。
それは、
「けんか口論」。

全国武士の頂点に立つ、徳川将軍。 その霊たちが眠る聖地で罵詈雑言張り上げての諍い、「まことに不謹慎である!」というので規制の対象に。

威勢のいい江戸っ子が「てやんでぇべらぼうめ!」タンカを切っただけで、公序良俗を乱したと。
上野のお山専属ガードマン「山同心」が飛んできて、即捕縛ということになったケースもあるそう。


閉門時刻も、きっちりと

そして上野では、「時短」も適用されていました。
それまでは夜桜見物もできていたのが、お触れが出て以降は暮れ六つ(だいたい午後6時頃)にて門を閉ざすことに。

東叡山寛永寺境内の風紀は守られ、騒々しい酔客がいないことから。
年配の方や子ども連れ、良家の婦女子だけのお出かけにはとてもいい環境。

でも一方には、それでは物足りない人たちも大勢いました。
花見の楽しみである飲食が厳しく規制され、夜の桜も見られない。
がっかりした庶民の気持ちを放ったらかしにしないのは、さすがテレビの人気者・暴れん坊将軍!
上野にかわり、気兼ねなく花見ができるスポットを新たに造成します。

江戸城内の桜などを移植して吉宗が作ったのは、
・王子飛鳥山
・品川御殿山
・隅田川堤
3ヶ所の新桜名所。

勾配がきつい上野に対して、飛鳥山はなだらかな丘で散策しやすい。
飛鳥山の花見2.jpg

品川と隅田堤は、海と川も楽しめる。
海をのぞむ品川御殿山.jpg
隅田川から船で花見.jpg

飲食・歌舞音曲一切の規制無しのうえ、各地それぞれの魅力も相まって。
後発ながら新しい名所は、上野と肩を並べる人気スポットとなりました。


名君吉宗の、
光るまつりごと

隅田堤に桜が植樹された1里あまりの箇所は、以前から水害が多く護岸工事が必要だったところ。
そこに広く強く根を張る桜を植えれば、景観美化と堤防強化の一石二鳥。

向島や吉原に向かいながら花を眺める人も多く、大勢の人が行き交った春の隅田堤。
通る人の足で踏み固められ、土手は当初幕府が予想したより遥かに早く強化に成功。

上野の禁令と同時に、これだけ庶民の心をつかむ施策をスピーディに実行した吉宗。
その行動力・政治力・柔軟な発想には、頭が下がります。

それに引き換え、現代日本を指導する方々のコロナへの対応。
呑気ブログですから、あまり政治的なことには触れたくないのですが…。

ここまでのところ、
「もう少しほかに、やり方あったんじゃないの」。
素人が見てもそう思えてしまう点、いくつもあるのでは。

ここは上の方に任せるだけでなく、私自身が吉宗の英断に倣い。
新型コロナウイルス感染拡大防止には、何が有効でどう対処すべきか。一人ひとりが考え、行動することも必要かと。

おっと、柄にもなく堅苦しいことを。
ではお口直しに、本ブログでは何回か取り上げている人気SFアニメ『超時空要塞マクロス』より。
初代歌姫リン・ミンメイ(CV.飯島真理)の、この歌声をお届けしましょう。


挿入歌『シルバームーン・レッドムーン』、サビ部分後半。
♬冷たいあなたは上海ダンディ  
 ジタンの香りが目にしみる

女泣かせの色男が、粋にふかす細身のフランスタバコの名は「ジタン」
それを今聴くと、
♪時短の香りが 
 目にしみる…
こう脳内変換。


それともう一つ、
本記事でのお遊び。
冒頭イラスト中お店の貼り紙、いま一度ご覧ください。

17時から、19時22分までオープン。
営業時間は2時間22分=”ニャンにゃんにゃん”。

桜罫線淡い760.png

お開きまで
お付き合いいただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

※記事中の浮世絵画像はすべて、国立国会図書館デジタルコレクションより。

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