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名人古今亭志ん朝のお宝エピソード [落語情報]


今回の記事の前に、いつもの『web版言の葉落語会』のご案内。

『web版言の葉落語会』
お客様からのご投句を4月26日23時59分まで賑々しく受付中!
詳細は
※投句先等の応募要項への直接リンクは
をご覧ください。


三遊亭金八秘宝館、本日オープン


先日の選者口上では、秀逸な雑俳例句とかっぽれを披露してくれた三遊亭金八師から、また楽しい映像が届きました。
以前の動画とともに


でご覧いただけます。
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昭和・平成の名人、あまりに早い旅立ち


金八師、大先輩方からいろんなものもらっていいな。
私は標準体型より腕が長く足も大きいため、人から着物や履物いただいたことはほとんどありません。


そうやって名人・大看板から何か頂戴できるというのも、お客様だけでなく楽屋仲間からも愛される金八師の人柄ゆえでしょう。

今回の雑俳企画でも色々相談にのってくれたりこうして宣伝素材をまめに提供してくれて、本当に頼りになるいい後輩…。


なんだけど、ン?さっき動画の初めの方でオレのことなんか言ってなかったか!?
気になるけど、記事書かなくちゃいけないから先へ進もう。


志ん朝師匠の雪駄にまつわるエピソード、私も初めて知りました。


古今亭志ん朝。


名人古今亭志ん生を父、先代金原亭馬生を兄に持つ落語界のサラブレッド

自らも昭和から平成にかけての大看板。
華のある姿と歯切れのいい口調が生み出す芸は、今でも大勢の落語ファンに愛されています。


2001年10月1日、未明。
あまりにも早く、不世出の巨星は雲の向こうへ旅立ちました。


「80過ぎて口調がおとっつぁんみたいになった、味のある志ん朝を聴きたかった」というたくさんのお客様を残して。


みんなにまんべんなく、想い出をくれた


芸人たちも、「志ん朝ロス」に見舞われました。
志ん朝師の亡くなった日は、私どもが10人で真打になった披露目の真っ最中。

9月21日からの鈴本演芸場を打ち上げ、10月上席は新宿末廣亭での興行。


その口上に並んでくれる協会理事のお宅への挨拶回りの途上、飛び込んできた訃報。


私が乗っている車を運転していた現三遊亭遊雀師が携帯でそれを聞き、路肩に車を寄せると肩を落として
「アニさん、矢来(新宿矢来町に住んでいた志ん朝の通り名)が…亡くなっちゃた…」
天を仰いで茫然と言ったのを憶えています。


挨拶回りは、急きょ中止。
とりあえず午後一番でまた集合して今後の対応を検討することにして、その場で10人は別れました。


志ん朝師匠のおかみさんと麻雀をしたりして個人的に親しかった三遊亭萬窓師など、お宅へお悔やみに行く組。
そこまで深いお付き合いではないので、いったん自分のうちへ帰ったり脇でつなごうという面々。


私は、後者でした。
やはりうちへ帰るという三遊亭白鳥師と途中まで一緒だったのですが、その時に彼が

「志ん朝師匠んちってオレ行ったことないけど、すごい豪邸なんでしょアニさん。
でもこれからお悔やみの人が大勢来たら、どんなに広くても玄関靴でいっぱいなっっちゃうだろうな。
ゲソ(下足、履物の意)間違えないようにやっぱりあれかな「靴番くん」(春風亭柳昇師匠考案の、取り違え防止のため靴に刺すプラスチックの札。当時寄席の売店で売っていた)とか使うのかな」


不思議な心配を。

でもあまり接点のなかった新作派の白鳥さんでも「志ん朝師匠から楽屋でこんなこと言われたことがある」なんて話も道々出た記憶があります。


私の兄弟子・入船亭一門の筆頭扇遊は、志ん朝師匠に生前とても可愛がっていただいてました。
その筆頭弟子はよく
「矢来の師匠は、前座からお囃子さんまで仲間みんなにまんべんなく想い出をくれた人だ」と言います。


それだけ、楽屋でも周りに気を配っていた方。
私にも、

テレワークで落語の稽古?
でご紹介したエピソードのほかにもう一つ、思い出す志ん朝師匠との交流があります。

きら星のごとき打ち上げ


私が二ツ目になって2・3年たった、季節は夏の終わりだったか秋の声を聴きだした頃だったか…。
 
三遊亭圓弥師匠が顏付け(メンバーをきめること)をしている新富町のホールでの落語会に、私は鳴り物の手伝い兼高座で使ってもらいました。

トリは、志ん朝師匠。


あらかじめネタ出ししてあった演目は、『小言幸兵衛』
袖で聴かせてもらいましたが、いやその時の高座といったら凄かった。


当人ものって喋っているのが袖にも伝わるテンポの良さ、聴衆にも伝わって高座とお客席がまさに一体となっての名演
サゲを言って頭を下げたあとは前座がいつ幕を下ろしていいのか戸惑うほど、万雷の拍手が鳴りやみません。


汗びっしょりで高座から下りてきた志ん朝師匠、自分でも手応えのあった芸の余韻をかみしめたくもあったんでしょう。


楽屋についてきていたおかみさん・圓弥師匠・弟子の志ん馬師・ヒザ(トリの前の出番)を務めた曲芸の翁家和楽・小楽師匠たちと車で志ん朝師匠行きつけの、『鈴音』という店へ向かうことに。
私も、誘っていただきました。


台東区千束2丁目、いわゆる吉原の歓楽街のそばにあった『鈴音』。本来定食屋さんですが夜遅い商売の人たちが食事に来るので深夜まで営業しており、奥に10人以上入れる半個室もあって普段から志ん朝師匠のお気に入り


向かう車中から電話して奥を予約するとともに、店の近所に住んでいる柳亭小燕枝師匠夫妻・柳家小里ん師匠・浅草演芸ホールの楽屋に残っていた一門の若手真打も呼んだものですから、『鈴音』の個室は一流芸人たちでぎっしり

鈴音テーブル.png


きら星のような面々の中で私は一番下ですから、乾杯がすむと緊張しながらみんなの水割りを作ったり空いた器を下げたりしながらお酒をチビチビ。


宴始まってほどよく一同酔いがまわりさあこれからたけなわという時、志ん朝師匠が「ちょっとはばかり」と小用へ。
限られたスペースに大勢がぎっちり座ってるんで私はいったん立って師匠が通る道を開け、そのまま待っていました。


君、何か面白くないことでもあったのかい?


やがてトイレで水を流す音がしてから出てきた志ん朝師匠、洗面台で手を洗うと何を思ったのかお手洗いが仕切ってあるのれんから覗いて
「扇治くん、ちょっと」
と私を手招きします。

のれんから招く手.png


トイレが詰まりでもしたのかな…。
「はいっ」と私ものれんの向こうへ顔を突っ込むと志ん朝師匠、いきなり
「君、今何か面白くないことでもあんのかい?」
赤い顔ながら真剣に聞いてきます。


とっさにどういうことかわからず「え?」と聞きかえす私に師匠は


「いやさ、さっきからみんなでワイワイやってんのに扇治くんだけほとんど自分から喋らないだろ。僕から話振っても目をそらすし、気になってしょうがないんだよ。何か、気に障ったのかい?」


あの大名人が、私のすぐそばに顏を寄せて(小池知事が飛び上がって驚きそう)心配してくれているのです。
私はもちろん何かが嫌だったわけではありませんから、




・凄い先輩方と同席して、とにかく緊張していること。
・志ん朝師匠は子どもの頃からの憧れですから、こんな間近にいらっしゃると眩しくて顔をまともに見られないこと。




など目を伏せて黙っていた理由をつっかえつっかえ何とか説明すると志ん朝師匠、ほーっと息をついて


「ああ、そういうことだったのか。そっちが機嫌損ねてないんだったらまぁ安心したけど、でもいいかい扇治くん。
たとえどんなに緊張してても、みんな仲間なんだから、ね?
君がひとりで黙ってて、話しかけてもこっち見てくんないと『ああ、おれこの人に嫌われてんのかな』と余計な気ぃまわしちゃうんだよね。
だからさ、妙に遠慮しないで一緒に楽しくワイワイやろうよ、ね!」


あの名人が、大看板が、憧れの志ん朝が、一介の二ツ目である私の本当に至近距離でこう言ってくれたのです。


ああ、ありがたい。
噺家になってよかった。
身に余る光栄、本当に嬉しい…。


嬉しいのですが、その時志ん朝師匠けっこう酔っていたので
トイレから出て洗面台で洗った手を

ハンカチや備え付けのタオルで拭かないまま。


ビショビショの手で

「楽しくやろうよ、扇治くん!」
言いながら私の肩をバンバン叩きます。


ありがたいけど、冷たい。


着ているシャツが水でぐっしょり。
初めは冷たかったのですが、何度も肩を叩かれているうちそれは志ん朝師匠の人柄の温かさとなって私の身体に染み渡っていきました。

志ん朝師と扇治.jpg



家で過ごす時間が増えています。
金八師の雪駄の話を聞いて、
「ああ、オレも志ん朝師匠にシャツの肩で手ぇ拭かれたことあったな」
思いだしてひとりでクスクス。


こんなひと時ほっとする体験談、皆様の頭の中にもたくさん眠っていることと思います。

コロナのニュースからはちょいと離れて、想い出の宝箱にしばし遊んでみられてはいかがでしょう。


雑俳の投句も、お待ちしております!


お開きまでお付き合いくださいまして、まことにありがとうございます。
またのご訪問、お待ち申し上げております。
入船亭扇治

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