SSブログ

進級・進学シーズンにおくる、「寺子屋事情」~驚異的な識字率を支えた、江戸庶民の教育機関 [江戸のトリビア]


青空のもと薪を背負って歩きながら、読書に余念ない猫の二宮金次郎。
二宮金次郎.jpg

足元に、気をつけなさいよ。


世界最高水準、
江戸の識字率

パリ・ロンドンに先駆けて、100万人都市となった江戸の街。

その頃日本国民で読み書きができる人の割合も、世界で最高だった時期が。

18世紀後半~19世紀末にかけての、日本人の識字率。

男性:54%
女性:19%
江戸市中に限るとこの数字は、男女合わせて70%まで跳ね上がります。

そしてさらに街の中心部に住む人は、「かなしか読めない」等程度の差こそあれ。
ほぼ100%に近い人が、士農工商とも読み書きができていました!


ちなみに同時期のイギリスは20%、フランスは10%未満(庶民階級の場合)。

この驚異的な江戸の識字率は、どういう要因で達成されたのでしょうか。


読み書きは大事な、
暮らしの防衛手段

徳川家康が綿密な都市開発計画に基づいて、台地を切り開き浜を埋め立てて完成させた将軍様のお膝元・江戸。

新しい街づくりのため、東北地方初め全国各地から大勢の人たちが集まってきます。

地元民より新参者が多い状態からスタートした江戸は、上方よりはるかに「ビジネスライク」な街でもありました。

庶民でも最低限の読み書き算盤くらいはできないと、「生き馬の目を抜く」街では人に後れをとったり手玉にとられたり。

「人情に厚い江戸っ子」とはまた違う側面を持つ、人口過密の大都市。
利に敏い者に食いものにされたりしないためには、ちゃんと字が読めて勘定もできないと。

庶民にとって読み書き算盤は、江戸で生き抜くための「暮らしの防衛手段」でもあったのです。



幕府や奉行所からの告知が、
「高札」
で街の辻々に掲示されることも多かった江戸。

高札は今の街頭ビジョン・回覧板・インターネットを併せたくらいの、重要な情報源。
庶民の暮らしに関わるお触れなど、もたびたび発令されていましたから。

高札眺める.jpg

世の中から置いていかれないよう、町人向けのかな書き高札くらいは読めるようにと。
江戸の親たちはわが子が幼い頃から、けっこう熱心に教育を施していたのです。


「寺子屋」の語源

江戸の高識字率を支えたのは、庶民向けの教育機関「寺子屋」。

最盛期の幕末には、江戸に1500軒・全国で2万軒あったそうです。
これは現代の小学校の総数と、ほぼ同じ。


寺子屋で勉強.jpg

※元イラストは『イラストAC』矢島商店様の作品を使わせていただきました。ありがとうございます。



江戸期以前には寺で読み書きを教わるのが主で、入門することを「寺入り」弟子を「寺子」と称したことから上方では寺子屋と呼ぶように。

江戸では初め、「手習い」「書道・手蹟指南」と言っていました。

後に人形浄瑠璃・歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の大ヒットから、江戸でも「寺子屋」の名称が定着します。


親切な個人指導、
寺子屋のシステム

6~7歳で入ってくる子ども達に読み書き算盤・女の子には更に行儀作法や裁縫を教える、実務教育

これが、寺子屋の経営方針。

中には100人以上を抱える大規模校もあったそうですが、多くの寺子屋の生徒数は10~30人くらい

いろは→漢字→短文→手紙の書き方と進んでいく勉強。
その教え方は、
基本的に「個別指導」でした。
手習いの師匠.jpg

きれいな女性の先生などが、こうして手をとって書道教えてくれたら。
覚えも、
ぐっと早くなりますよね。

塾で居眠り.jpg


こまち、
寝てちゃいけません!



紙が貴重だったので、書き方では同じ半紙に何度も重ねて稽古。
5~10日に一度、新しい紙に清書するのが常でした。

お手本無しで書いたり文章を暗唱する「浚い」を経て、年に2回最終発表と授業参観を兼ねた「席書(せきがき)」が行われます。

その当日は盛装した我が子の晴れ姿を見に来る人々を当て込んで、周りに屋台が出るほど賑わう寺子屋もあったそう。
 

教え上手な先生の、
超絶テクニック

書き方指導がうまいと評判の先生は、「倒書(とうしょ)」という技術を持っていました。

今でも書道家の方、こうして教えることあるんではないでしょうか。
生徒と向かい合って、相手に見やすいように先生は上下逆に字を書いていきます。

うまい踊りの師匠や、講習受けたラジオ体操指導員の方がおやりになるテクニック。

不器用な私から見ると、
まさに超絶技巧。

こまち手習い.gif

こらこら、こまち。
せっかく先生が丁寧に教えてくださってんだから、よそ見してちゃいけません。


決して高額ではない、
江戸の教育費。
休日・娯楽も充実。

寺子屋の教育費用は、いくらくらいだったのでしょうか。

☆入門時に師匠に払う「束脩(そくしゅう)」が1朱か2朱(5000円~1万円)+学友たちに煎餅や団子を人数分。

☆筆・硯・文庫・紙などは実費。

☆年5回の謝儀という授業料は、裕福な家の子で1分(約2万円)から豊かでない家庭の200文(約4000円)まで様々。

※1文=20円で計算しています。


他に畳代・炭代などもありましたが、いずれも払わないからといって催促されることは基本的になかったそうです。

後進に学問を授けるのは当然という、「敬学の精神」から。

武士・僧侶・神官・医者・庶民の知識人など、寺子屋の師匠になろうという人たち。
金銭に執着しない、ボランティア精神の人が多かったのですね。



毎日の授業時間は、午前8時~午後2時くらい。
間に自宅へ帰ったり弁当での昼食休憩が入ります。

お休みは毎月5日・15日・25日の「三日(さんじつ)の休み」、正月休みが12月17日~1月16日。


年末年始の休みが長いのは、家の手伝いをする子も多かったからでしょうね。

他に2月初午・鎮守祭・天神講なども休みになり、師匠によっては花見の時期に遠足・七夕の夜には合宿と子ども達を飽きさせない工夫を凝らしていました。

そう聞くと、江戸の寺子屋って。何だか楽しそうじゃありませんか?
私は子どもにかえって、一度通ってみたくなりました。



学生時代後半は落語三昧で、ろくすっぽ大学に行かなかった私。

今になって、
「もう少し、
 勉強しときゃよかったなぁ」

しみじみ思います。

時は春、
進級・進学シーズン。
新しい学習環境に、
胸躍らせている若い人たち。

充実した学びをおさめられますこと、大学生になる倅を持つ親として。
心より、
ご祈念申し上げます。

梅の罫線450.png

お開きまで
お付き合いいただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー