SSブログ
江戸のトリビア ブログトップ
前の5件 | 次の5件

現代人も見習いたい!江戸っ子たちの超シンプル引っ越し事情 [江戸のトリビア]


仕事で、学業で。
年度が改まる春は、引っ越しの季節でもあります。

引っ越しならクロネココマチ.jpg

新天地への旅立ちには、希望ととともに若干の不安も付き物。
引っ越しにかかる労力と時間も、けっこう大変。

ついつい身の周りの品が増えがちな現代人に比べ、江戸時代の人々はあまり引っ越しを苦にしていませんでした。


天才浮世絵師は、
堂々の「引っ越し王」

93回。
浮世絵師・葛飾北斎が、89年の生涯で引っ越しをした回数。

私は上京してから
・噺家になった
・結婚した
・真打昇進
・子どもが産まれた
・猫を迎えた
といった理由で、計6回住まいを変えています。

その度ごとに、荷物の整理・不動産屋さんとの折衝・引っ越し業者とのやり取り・インフラ申し込み…。
無精な私には、心身ともにぐったりする作業の連続。

ことに「荷物をまとめる」のが、毎回大変でした。
噺家になってからは着物が増えましたし、それ以前から読書好きの私。
それなりの量の蔵書がありますので、箱詰めにかなり手間取ります。

こうやって作業を「手伝ってくれる」パートナーがいると、なおのこと作業が滞りがち。

本の整理手伝う.gif

「少し本、減らさなきゃなぁ…」
思うのですが、それぞれに愛着があってなかなか果たせず。

そんな私からすると、100回近くも家を変えている北斎。
もはや、
異次元の存在です。



なぜ天才浮世絵師は、そんな頻繁に引っ越しをしたのか?
若くてまだ売れていない頃は、店賃を滞らせて万やむを得ずという理由もあったようですが。

押しも押されぬ超売れっ子になってからは、

「増えすぎた作品の整理が、面倒くさい」からと。

創作環境リフレッシュの意味で、よく住まいを変えていたのだそうです。


「断捨離」不要!
超シンプルな居住空間

昨今はやりの、
「断捨離」整理術。

”いつか使うかも”の気持ちから、ついため込みがちな身の周り品。
思いきってしばらく使っていない物は、フリマに出したりして効率よく処分しよう!

そのノウハウをまとめた本が、よく売れたりしていますね。



江戸時代、ことに将軍お膝元の都市中心部に住む庶民たちは。
普段から、「断捨離」とは縁のない暮らしぶり。

今の3倍近い人口密度だった江戸市中では、限られた居住空間を有効活用するための「棟割長屋」が一番ポピュラーな住まい。

長屋はスイートホーム.jpg

落語によく出て来る「九尺二間」の貧乏長屋は、
・間口:約2.77m
・奥行:約3.63m
のワンルーム。

この面積から土間と押し入れ部分を引くと、居住空間として使えるのは3畳~4畳半
さらに収納が多い造りだと、畳が2枚しか入らないところも。

そういう狭い空間に、夫婦家族が寄り添って暮らす。

火事が多く、ひと晩で家を失うことも珍しくなかった江戸の街。
自然と人々は、「必要最低限の物しか持たない」ライフスタイルを確立させていったのです。


大型家具は
買い替えた方が安い

当時の長屋は同じような店賃なら、どこも間取りはたいてい似ていました。

そのためへっつい(かまど)・箪笥などの大きなものは持ち運ばず、
・古道具屋に買い取ってもらい、引っ越し先で新しく買い直す。
・損料屋(レンタルショップ)で借りる。
ことが多かったそうです。

大型家具は、運搬にけっこう手間とお金が必要。
手伝いの人を頼めば、そこに賃金が発生しますからね。



時代劇によく出てくる、荷物を運ぶ「大八車」

大八車あれー.jpg

当時この車がらみの人身事故が多発したため、大八車の総数は幕府によって厳密に定められていました。

希少車両なので、これを借りるにもまたそれなりの額のお金が必要。

だったら、布団・枕屏風・細かい台所道具・箒・雑巾…。
このあたりだけ持って、
身軽に引っ越し。

越した先で顔なじみになったお店から、必要な物は買い足していくのが江戸庶民流になったのです。

長屋の家財道具.gif


ケチってはいけない
「引っ越しそば」

当時の引っ越しでの初期費用として、敷金が必須だったのは現代と同じ。
敷金の風習は、婚礼の際の花嫁持参金に由来するという説が有力です。



そして新しい住まいのご近所さまへ、おそばを振る舞うことも大事でした。

当初は近隣・大家への挨拶として、縁起のいい餅・あずき粥などを配ったそうです。
のちにもっと安価で、江戸っ子が好むそばが主流に。

「そばのように長いお付き合い」
「おそばで末永くお達者に」

の気持ちで配る、引っ越しそば。

その頃の常識として、大家さんのほか最低でも
「向こう三軒両隣に、
 一人あたりもり二枚」
おそばを振る舞うことになっていました。

もしこれを、
ケチって怠ると…。

「なんだい、今度越して来たあいつは。そばの一枚も出さねぇなんて。
 あんなしみったれなうちとは、金輪際付き合うんじゃねぇぞ!」

あとあとのご近所関係に、支障をきたしますので。
貧乏長屋の住民たちも、そのあたりの費用はなんとか工面していたようです。

「うちで仕事してるんで、今おそば持ってこられても食べらんないよ」というお宅には、「そば券」というクーポン渡すこともありました。

「いいものもらった!」

おそば券.jpg

ニコニコのこまち。




結果的に「身軽な引っ越し」につながった、最低限身の周り品のみでの江戸庶民のシンプルライフ。

ついつい物欲におぼれがちな現代の私たち、見習うべきところ多いのではないでしょうか。

桜罫線淡い760.png

お開きまで
お付き合いいただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、お付き合いくださいませ。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

進級・進学シーズンにおくる、「寺子屋事情」~驚異的な識字率を支えた、江戸庶民の教育機関 [江戸のトリビア]


青空のもと薪を背負って歩きながら、読書に余念ない猫の二宮金次郎。
二宮金次郎.jpg

足元に、気をつけなさいよ。


世界最高水準、
江戸の識字率

パリ・ロンドンに先駆けて、100万人都市となった江戸の街。

その頃日本国民で読み書きができる人の割合も、世界で最高だった時期が。

18世紀後半~19世紀末にかけての、日本人の識字率。

男性:54%
女性:19%
江戸市中に限るとこの数字は、男女合わせて70%まで跳ね上がります。

そしてさらに街の中心部に住む人は、「かなしか読めない」等程度の差こそあれ。
ほぼ100%に近い人が、士農工商とも読み書きができていました!


ちなみに同時期のイギリスは20%、フランスは10%未満(庶民階級の場合)。

この驚異的な江戸の識字率は、どういう要因で達成されたのでしょうか。


読み書きは大事な、
暮らしの防衛手段

徳川家康が綿密な都市開発計画に基づいて、台地を切り開き浜を埋め立てて完成させた将軍様のお膝元・江戸。

新しい街づくりのため、東北地方初め全国各地から大勢の人たちが集まってきます。

地元民より新参者が多い状態からスタートした江戸は、上方よりはるかに「ビジネスライク」な街でもありました。

庶民でも最低限の読み書き算盤くらいはできないと、「生き馬の目を抜く」街では人に後れをとったり手玉にとられたり。

「人情に厚い江戸っ子」とはまた違う側面を持つ、人口過密の大都市。
利に敏い者に食いものにされたりしないためには、ちゃんと字が読めて勘定もできないと。

庶民にとって読み書き算盤は、江戸で生き抜くための「暮らしの防衛手段」でもあったのです。



幕府や奉行所からの告知が、
「高札」
で街の辻々に掲示されることも多かった江戸。

高札は今の街頭ビジョン・回覧板・インターネットを併せたくらいの、重要な情報源。
庶民の暮らしに関わるお触れなど、もたびたび発令されていましたから。

高札眺める.jpg

世の中から置いていかれないよう、町人向けのかな書き高札くらいは読めるようにと。
江戸の親たちはわが子が幼い頃から、けっこう熱心に教育を施していたのです。


「寺子屋」の語源

江戸の高識字率を支えたのは、庶民向けの教育機関「寺子屋」。

最盛期の幕末には、江戸に1500軒・全国で2万軒あったそうです。
これは現代の小学校の総数と、ほぼ同じ。


寺子屋で勉強.jpg

※元イラストは『イラストAC』矢島商店様の作品を使わせていただきました。ありがとうございます。



江戸期以前には寺で読み書きを教わるのが主で、入門することを「寺入り」弟子を「寺子」と称したことから上方では寺子屋と呼ぶように。

江戸では初め、「手習い」「書道・手蹟指南」と言っていました。

後に人形浄瑠璃・歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の大ヒットから、江戸でも「寺子屋」の名称が定着します。


親切な個人指導、
寺子屋のシステム

6~7歳で入ってくる子ども達に読み書き算盤・女の子には更に行儀作法や裁縫を教える、実務教育

これが、寺子屋の経営方針。

中には100人以上を抱える大規模校もあったそうですが、多くの寺子屋の生徒数は10~30人くらい

いろは→漢字→短文→手紙の書き方と進んでいく勉強。
その教え方は、
基本的に「個別指導」でした。
手習いの師匠.jpg

きれいな女性の先生などが、こうして手をとって書道教えてくれたら。
覚えも、
ぐっと早くなりますよね。

塾で居眠り.jpg


こまち、
寝てちゃいけません!



紙が貴重だったので、書き方では同じ半紙に何度も重ねて稽古。
5~10日に一度、新しい紙に清書するのが常でした。

お手本無しで書いたり文章を暗唱する「浚い」を経て、年に2回最終発表と授業参観を兼ねた「席書(せきがき)」が行われます。

その当日は盛装した我が子の晴れ姿を見に来る人々を当て込んで、周りに屋台が出るほど賑わう寺子屋もあったそう。
 

教え上手な先生の、
超絶テクニック

書き方指導がうまいと評判の先生は、「倒書(とうしょ)」という技術を持っていました。

今でも書道家の方、こうして教えることあるんではないでしょうか。
生徒と向かい合って、相手に見やすいように先生は上下逆に字を書いていきます。

うまい踊りの師匠や、講習受けたラジオ体操指導員の方がおやりになるテクニック。

不器用な私から見ると、
まさに超絶技巧。

こまち手習い.gif

こらこら、こまち。
せっかく先生が丁寧に教えてくださってんだから、よそ見してちゃいけません。


決して高額ではない、
江戸の教育費。
休日・娯楽も充実。

寺子屋の教育費用は、いくらくらいだったのでしょうか。

☆入門時に師匠に払う「束脩(そくしゅう)」が1朱か2朱(5000円~1万円)+学友たちに煎餅や団子を人数分。

☆筆・硯・文庫・紙などは実費。

☆年5回の謝儀という授業料は、裕福な家の子で1分(約2万円)から豊かでない家庭の200文(約4000円)まで様々。

※1文=20円で計算しています。


他に畳代・炭代などもありましたが、いずれも払わないからといって催促されることは基本的になかったそうです。

後進に学問を授けるのは当然という、「敬学の精神」から。

武士・僧侶・神官・医者・庶民の知識人など、寺子屋の師匠になろうという人たち。
金銭に執着しない、ボランティア精神の人が多かったのですね。



毎日の授業時間は、午前8時~午後2時くらい。
間に自宅へ帰ったり弁当での昼食休憩が入ります。

お休みは毎月5日・15日・25日の「三日(さんじつ)の休み」、正月休みが12月17日~1月16日。


年末年始の休みが長いのは、家の手伝いをする子も多かったからでしょうね。

他に2月初午・鎮守祭・天神講なども休みになり、師匠によっては花見の時期に遠足・七夕の夜には合宿と子ども達を飽きさせない工夫を凝らしていました。

そう聞くと、江戸の寺子屋って。何だか楽しそうじゃありませんか?
私は子どもにかえって、一度通ってみたくなりました。



学生時代後半は落語三昧で、ろくすっぽ大学に行かなかった私。

今になって、
「もう少し、
 勉強しときゃよかったなぁ」

しみじみ思います。

時は春、
進級・進学シーズン。
新しい学習環境に、
胸躍らせている若い人たち。

充実した学びをおさめられますこと、大学生になる倅を持つ親として。
心より、
ご祈念申し上げます。

梅の罫線450.png

お開きまで
お付き合いいただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

噺家の必需品・風呂敷が伝える「和のこころ」~ 名人たちの風呂敷画像もご紹介!~ [江戸のトリビア]


レジ袋も有料となり、マイバッグ持参での買い物が定着した私たちの暮らし。

自在に形を変え、様々な包み方ができる「風呂敷」。

こちらも使い慣れると、
大変に重宝なもの。


噺家支度の必需品

あらたまった席でお使いものにする時は、紙や布の袋から品物を出すより。

結び目を解くと、
「はらり」。
中身が出て来る風呂敷の方が、上品でいいですよね。

風呂敷包み持参.jpg

私は寄席と先輩宅にお歳暮で伺う時は、必ず風呂敷で持参するようにしています。

それ以外にも日々の仕事先へ行くのに、着物一式を包みますから。
風呂敷は噺家にとって、なくてはならないもの。

支度をしようと着物を広げると、紐大好きな黒猫こまちが羽織にじゃれついてきたり。

着物の支度手伝う.jpg

このイラスト用に、実際にタンスから一式出して撮影していたら。

着物踏んでいく.gif

は、羽二重の羽織を!
素足で踏んでかないで…。


名人たちの名入り風呂敷

お互い使うとわかっていますから、真打披露など仲間うちの祝儀不祝儀の引き出物として。
よく使われる、
名入り風呂敷。

そんな品の中から、何枚か画像でご紹介しましょう。



まず、『横浜高島屋落語会』第20回記念風呂敷。

高島屋落語会風呂敷.jpg

もう雲の上へ行かれた人も多い、豪華な出演陣。

生地もしっかりしていて使いやすいので、私のお気に入りの一枚。

過去記事では、こんなGIF画像を掲載したことも。

風呂敷を包むこまち.gif



続いて、大師匠にあたる先代・柳家小さん師匠の風呂敷三連打。

①芸歴50周年記念

小さん師匠2.jpg

顔が似ているからと、色紙に狸の絵を好んで描いた小さん師匠。
芸と人で、ほかの人より抜きんでるようにと。
「狸」を「他抜」と書くのが常でした。


②人間国宝認定記念

小さん師匠1.jpg

①とはまた違ったタッチの、目がぱっちりでかわいい狸。
なんとなく、イラストこまちと雰囲気が似ているような気が。


③没後、お弔い返礼

小さん師匠3.jpg

お香典返しですから、墨色で仕上げられた上品な風呂敷。
茶釜から覗いている狸、小さん師匠が皆にお別れを言っているようにも見えます。



お弔いと言えば、古今亭志ん朝師匠のお返しも風呂敷でした。

志ん朝師匠風呂敷.jpg

もったいないから、頂いたままタンスにしまいっ放し。

初めて広げてみて、右肩の「ご贔屓さん江」の文字に感無量。

不世出の名人からこんなこと言われたら、恐縮しちゃいますよね。

※志ん朝師匠の想い出は、名人古今亭志ん朝のお宝エピソードの記事などでも触れております。


「風呂敷」の語源とは?

普段お世話になる風呂敷、その名のいわれを調べたことがあります。

天平時代~奈良時代、僧侶の袈裟・楽人の衣装や楽器を包むのに布が使われるように。

平安時代に入ってその習慣は貴族階級の「古路毛都々美(ころもづつみ)」から、「平包み」という名称で庶民にも浸透。

それが「風呂敷」に変わったきっかけは、 室町時代。
足利義光が都に設けた大湯殿で各地の武将を接待した折、家紋入りの袱紗や平包みを敷いた上で着替え・衣服を包むんだところから。


風呂敷は領分.jpg

徳川幕府開闢後もしばらくは、特に江戸の街では風呂敷=銭湯通いの必需品。

手拭や垢すりなどの入浴用品を包んで、銭湯まで持参。
板の間に敷いて、その上で着替える。

現代に例えるなら、エコバッグとレジャーシート一体化の便利グッズ。


銭湯用具から、運搬用に
風呂敷の用途も変化

しかし時代が下り、男女混浴が多かった江戸の銭湯も。
次第に、男湯・女湯別れた湯屋が増えてきます。

それまでは入浴時身に着ける人が多かった、身体を隠す「湯褌」「湯巻」。
異性の目がなければ必要ありません。

嵩張る荷物が減ったので、お湯道具はわざわざ大きな布で包むこともなくなりました。
銭湯にも、板の間に銘々用の脱衣かごを置くところも多くなり。

その頃から風呂敷は「銭湯通いの必需品」から、「物を包んで運ぶ」今の使い方へと変化していったのです。



道行く商人たちがしょっている風呂敷包みには、その商家の屋号が目立つように染め抜かれ。

行きかう人々がそれを見て、
「おっ、○○屋の若い者が、あんな大きな荷を担いで忙しそうに来るよ。繁盛してんだねぇ。じゃあ今度俺も、あそこでなんか買ってみよう」
広告塔の役割を果たしました。



婚礼用具を包む家紋入りの豪華な風呂敷には、決まって七福神などのおめでたい吉祥模様が描かれます。

昔から漫画などに出て来る「間抜け泥棒」が担いでいる、唐草模様の風呂敷。
あれも「力強くどこまでも伸びていく」、中国産植物の生命力にあやかろうという意味が込められているのです。

世界で初の人口100万人都市になった江戸の街では、一般用・商用・婚礼用の風呂敷が大流行。

大丸呉服店では最盛期に、年間6万枚の仕入れがあったといいます。

包む品物によって、自由に形を変える風呂敷。

一枚の長い布を使って、美しい結び目を産み出す。
和服の帯に通じる、「和のこころ」を今に伝える風呂敷。

噺家でない皆様も、機会があったら風呂敷にもっと親しんでみませんか?

『心をつつむふろしきの美』
森田知都子 著
産経新聞社 刊
『モダンふろしき案内』
佐々木ルリ子
菅原すみこ 共著
河出書房新社 刊


きれいな写真や興味深い解説で、風呂敷が身近になる書籍いろいろ。
本屋さん・図書館・ネット通販で、気軽に読むことができますよ!

そして私たちの心も、風呂敷のように柔らかく人を包みこむようでありたいもの。

そんな風呂敷が活躍する落語については、黒澤映画のあの名作と、落語『風呂敷』の意外な共通点で有名作品を引用して考察。
未読の方、よろしければ覗いてみてください。

梅の罫線450.png

お開きまで
お付き合いいただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

「爪の先に灯をともす」から飛び出す、あのスーパーロボット! [江戸のトリビア]


陽当たりのいい縁側で、
ぱちぱち爪を切るこまち。

爪を切る.png

「食べられるかな?」庭で食いしん坊スズメたちが狙ってますが、口に入れるのはよした方がいいでしょう。

猫の爪は鋭いから、うっかりするとまた「舌切り雀」になっちゃうよ。

爪を表すことわざ

と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは

「夜爪を切ると、
 親の死に目に会えない」。

今のようにLED電球なんかないその昔、乏しい明かりのもとで無理して爪を切ると。

深爪したり、
指先を切ったりするよ。

散らばった爪を踏むと、
ほかの人も不愉快だよ。

だから、よしなさい。

幼い頃にそう母親から教わり、今でも守り続けています。それでも父の臨終には立ち会えませんでしたが…。



「夜爪」と並んで人口に膾炙しているのが、

「爪の先に灯をともす」

極端な倹約家、はっきり言えば「けちん坊」を表す言葉。

倹約こまち.jpg


落語『片棒』『味噌蔵』などのマクラで、よくこのことわざを引用します。

冬の大作『富久』には、

「火元は、あののり屋のババァんちか…。あの婆さん、普段から爪の先ぃ灯ともすように銭ばっかしためやがって。その爪の先から火が出て、隣の俺のうちまで焼けちまった…」

主人公・幇間の一八が火事場を前に、呆然とつぶやくくだりが。

江戸時代から続く
「爪の先に灯を」

あの有名な牛にまつわることわざの、真実に迫る!の記事を書く際参考にした、東京書籍刊『絵で楽しむ江戸のことわざ』(時田昌瑞・著)。

その中には、「しわん坊」=「爪の先に灯をともす」さまを描いた図版が掲載されています。

吝ん坊解説.png

『新造図彙』の説明は、

「シワンボウ」くろんぼうの類也、北国の人つめに火をともし、なまつめをはがしてつかふ。


『画本纂怪興』では

いにしへしわん坊といひし者、有財餓鬼道に落(おつ)。欲心の業火さかんに燃(もえ)、爪は燈心となり身の油は燈油(ともしゆ)となる。


妖怪変化・魑魅魍魎を描いて大人気、江戸の水木しげる=河鍋暁斎もこんな絵で「爪の先に灯」を扱っています。

狂斎百図.png

『絵で楽しむ江戸のことわざ』より転載

「爪の先に灯をともす」
そのいわれは?

人間の爪は皮膚の延長で、硬質ケラチン(なんだかかわいい名前)というたんぱく質でできているそうです。

髪と同じで、伸び過ぎたら邪魔で切らなくてはいけないもの。

昔は切った後の女性の髪は、かもじとして再利用されたりしました。

でも爪の方は、どう工夫しても使い道ないんですよね。 身体を離れたら、ただの老廃物。

しかしそれにも何らかの価値を見いだそうとするのが、折り紙つきのけちん坊。

『男はつらいよ』主題歌の文句、「目方で男が売れるなら こんな苦労もかけまいに」のように。

自分の身体髪膚、
すべてに値打ちがあるんだ!

はかりで計量.jpg

爪もただ捨てちゃもったいない、なんかに使ってやろう。

そうだ燃やしてみたら、灯りや暖をとるのに役立つんじゃないか?

私は実際にやったことはありませんが、硬質ケラチンというのは普通の皮膚より火がつきにくいのだそうです。

無理に燃やしてみたら、
激しい悪臭が発生!

そんな苦労をしてまで爪の再利用を考える人は、本当のけちん坊。そこから、このことわざは言われるようになったとされています。



さらに突っ込んだ「爪の先に灯」語源として、日本語の語源.comさんがご自分のブログ記事で興味深い説を挙げてらっしゃいます。


ここでなぜか、
あのスーパーロボット登場!

先に掲載した「爪の先に灯を灯す」絵を見ていたら、突然頭の中に響いて来たのが。

ロボットアニメのパイオニア、
『マジンガーℤ」主題歌。

超合金の鎧をまとったスーパーロボット・マジンガーℤの必殺技の一つが、胸の放熱板から発射される摂氏3万度の熱線「ブレストファイヤー」。

発動の際、2枚の赤い胸板がじわじわっと赤みを帯びて来て。

「ブぅレぇストおおおおー、ファイヤああああー!!」の掛け声とともに、機械獣目がけ一直線に放たれる超熱線。

かっこいいなぁー。

スケールは違いますが、その発射シークエンスがなんとなくせっせと爪を燃やしているけちん坊の姿につながるような気がします。



これを聞いていた黒猫こまち、縁日で買ってもらったお面かぶって。

大空そびえる黒鉄の城・マジンガーになり切って、爪の先から本当に火を放ってご覧に入れましょう!

マジンガーこまち.gif


必殺技とことわざの、
意外な関係?

ほかにマジンガーℤの必殺技では、
「ルストハリケーン」も有名。

頭部口部分から噴射する、気化された超強力溶解液の突風。

この技も、日本のことわざに通じるところがあるのに気がつきました。

「人の口には戸が建てられない」
とか、
「物言えば唇寒し秋の風」とか。


マジンガーの口には.jpg

こじつけだとおっしゃいますか?

『マジンガーℤ』作者の永井豪先生は、『ハレンチ学園』などでわかるようにギャグのセンスが凄い人。ボキャブラリーも、大変に豊富な方。

ロボットの設定する時に、こういったことわざや文句が頭をよぎったのでは?そう想像するとなんだか楽しくなってきます。

ブレストファイヤーも、

編集者
「先生、最後の決め技ですが。
 どこから発射しましょうか」

永井豪
「う~ん腕や目は、
 ほかの技に振っちゃったからなぁ。

 …そうだ、
 ”胸焦がす恋”なんて言うよな。
 熱線を、胸から出そう!」

なんてやり取りから、 産まれたのかも。

マジンガー 胸が熱い.jpg

b_simple_114_8M.png

耳に馴染んだ言葉も、見かたを変えるとちょっと面白いネタになったり。

噺家ならではの視点で、いろんな言い回しを解釈して遊んでみる。 機会があれば、また別の言葉でやってみたいと思います。

その節は、
またご訪問くださいませ。

蔦飾り線.png
ご精読、
まことにありがとうございます。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

江戸時代から続くトレンド神、お稲荷様人気の秘密に迫る! [江戸のトリビア]


人混みの密を避け、松が取れてからゆっくり初詣に来たこまち。

お稲荷様にお願い.png

いっぱいお願いしたんだから、お賽銭も失礼がないよう納めなさいよ。

日本の神様、数が多いのは?

「八百万(やおよろず)」いらっしゃるという、わが国の神様たち。

現在日本国中に、約8万8000の神社とそれに類する社が存在するのだそうです。

ただしこの数は、
「宗教法人として申告されている」
ものだけ。

たまに見かける、街角やビルの谷間にある小さな社。
方南谷中 鍋横のお稲荷様.png

ハイキングに行った山中で出くわす、古びた祠。

そういった「小祠」も含めると、神様をお祀りしてある場所は全国で15~20万に達するのではと唱える方もいらっしゃいます。

ではその中で一番数多く祀られている神様は、いったいどなたなのでしょう。

まずは、
神社庁公式ランキング。

宗教学者・島田裕巳先生は自著『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)の中で、平成初期に神社本庁が行った調査の結果を挙げています。

その時点で祀られている神様・神社の縁起が明確だった約5万社のうち、数が多いのは

第1位:八幡様(約8000社)
第2位:お伊勢様(約4500社)

第3位:天神様(約4000社)

第4位:お稲荷様(
約3000社)


という結果に。



しかし、

・宇佐八幡宮
・北野天満宮
・伏見稲荷大社

各ホームページを参照すると、
これとは順位の変動が。
日本の神様ベスト3.png

実は「隠れ1位」?

神社本庁の調査ではベスト3圏外だったお稲荷様が、お伊勢様を押しのけてランクイン。

それだけ全国にある「小祠」の中で、お稲荷様を祀ったものが多いということなのでしょうか。



また普段なかなか人目につかないようなところに、お稲荷様の祠があったりします。

デパートや、
大企業社屋ビルの屋上。

歌舞伎座など、
大劇場の楽屋口。
※国立演芸場でも、
 立派なお稲荷様を勧請。

そして大きなお宅の「屋敷神」、ご自宅の敷地内にある鳥居と祠。
笹塚 地主さん宅内のお稲荷様.png


個人の方で、家の中にお稲荷様を祀る方もいらっしゃいます。



本記事を書くので、少しだけ調べてみると。

大きな稲荷神社で分祀してもらわなくても、現代では神具店さんのネット通販で「お稲荷様勧請キット」が手に入るのです!

私が見た業者さんのサイトでは、祠やお灯明皿・お狐様など一揃いが30~35万円。お稲荷様ご本尊が、16万円税別。

神様の消費税というのも、なんだか妙な気がしますが…。

そういった公けにはあまり知られない、個人宅での勧請分などをカウントすると。

おそらく日本中で一番数多くお祀りされている神様は、

お稲荷様

と推測されるのだそうです。

神道と仏教・華麗に合体!
誕生・無敵の人気神

現代につながる信仰界の一大トレンドとしてのお稲荷様人気は、江戸時代に入って急上昇。

もともとは渡来の豪族・秦氏が信仰していた農耕神が、日本古来の「宇迦之御魂大神(五穀豊穣・養蚕→商業の神)」とまず合体。

『稲荷』の名の由来は、
「稲を担った神の姿」
「稲成る→いなり」
からとする説が有力。

さらにインド伝来の、とても情の強い女神・ダッキーニ。 この方を鎮守神「荼枳尼天」として祀った仏教と、稲荷信仰が再度合体!

ジェットスクランダーを装備し空を飛べるようになった『マジンガーℤ』のように、人気・実力ともナンバー1の神様となります。

戦乱の世では、武家階級を筆頭に最も拝まれていた武神・八幡様から。

徳川泰平の時代が続き町人の力が強くなるにつれ、わかりやすく「商売繁盛」のご利益を前面に打ち出したお稲荷様へと。

人々に人気の信仰対象は、平和な日々の中で移り変わっていきました。

大きな商家・武家屋敷などでは、家を守る「屋敷神」として敷地内に。

さらに各町内の長屋では、たいてい共同の井戸端あたりに。
長屋のお稲荷様.JPG

平井聖・監修 GAKKEN GRAPHIC BOOKS DELUXE⑫ 『図説江戸3 町屋と町人の暮らし』より抜粋。

本当に数多く祀られたお稲荷様、最盛期には江戸市中で5000以上の社・祠があったそうです。

武士鰹 
大名小路広小路 
伊勢屋稲荷に 
犬の○○。

江戸名物として、
歌にうたわれるほどに。
※○○は、道端なぞにある
「犬の落とし物」。

「いいとこどり」のお稲荷様

明治維新以前までは、「神仏習合」といって神様と仏様の教えをお互いに「いいとこどり」するのは当然のことだったそう。

海外などの文化・技術をうまく換骨奪胎、独自のものを産み出す日本民族らしい柔軟な考え方。



お稲荷様が江戸時代これほど拝まれた理由の第一は、

信心する者・鎮守する土地の住人を守り導く、神道の稲荷。


信心した当人にこの世で恵みをもたらす、荼枳尼天=仏教の稲荷。


両者が合体した、まさに神道と仏教のハイブリッド・スーパー稲荷神。

そこに魅力があったからでしょう。

「商売繁盛」という庶民にはとてもわかりやすく、そして切実な願い。

真心から信じれば、その結果が孫子の代とか来世ではなく。

この世で生きているうちに、信心した当人へと償還される。



信心に、卑俗な例えを引いて恐縮ですが…。

私たち噺家の仕事、近頃では振込が多くなって慣れては来ましたが。

それでも、身に沁みついた習慣はなかなか変わらないもので。

頭でわかっていても「今日の出演料は、いついつ振り込みますんで」言われると、ちょっとがっかりする自分がいたりします。
ATM並ぶ.png

そんなあなたに、ハイ!
嬉しいお知らせです!
ニコニコ現金払い.png

豊川稲荷本院参道商店街公式マスコット・大吉くんが、お稲荷様の看板モットー「現世利益」を猛アピール。

※『大吉くん』とわが家のお付き合いについては、お稲荷さまの使い姫、意外な正体をご覧ください。

先が見通せない今
「プチ信心」のすすめ

仏教系稲荷・荼枳尼天は、とても嫉妬・執念深い神様。

途中で信心を怠ったりやめたりすると、祟りがある…。

ダッキーニの強い性格と「現世利益」への期待の裏返しから、よくそんなことが言われます。

「だから末永く信仰し続ける覚悟がなければ、みだりと仏教由来のお稲荷様の前で手を合わせるべきではない」とも。

確かにいい加減な気持ちで拝まれたら、神様だっていい気持ちはしないでしょう。

でも雨の日も風の日も通って来いとか、ほかの神様に浮気したら罰当てるぞとか。

お稲荷様ってそんな心の狭い人、もとい御柱ではないはず。

お賽銭の多寡だって、(そんなには)気になさらないのでは。

大切なのは、その時々どれだけ真剣に神仏の前で頭を垂れたかという、こちらの気持ち。



私はよく時間を見つけては、赤坂の豊川稲荷へお詣りに行きます。

山門をくぐると、すぐそばに大通りがあるのを忘れるような静謐な空間。

そこでゆっくり境内を巡り、両手を合わせ目を閉じれば。

神様へのお礼・願い事とともに、ほんの少しだけですが。

「自分」というものに正面から向き合い、想いを馳せる。そんな時間が、私の中に訪れることが。

あの噺を、
こういう演出でやってみようか。

今度はこんな企画で、
ブログ記事書こうか。

時間に追われる日常から、少し距離を置いた「プチ座禅」みたいなこの瞬間。

それも私にとって、お稲荷様からいただくご利益の一つ。

皆様方も堅苦しくお考えにならず、初詣以外にもご近所の社・祠で

通りすがりにちょっと立ち止まって、手を合わせてみてはいかがでしょう。

鳥居・山門をくぐれば、
そこは聖域。

ひょっとすると、こんな光景。

目にすることが、できるかも。


千本鳥居駆ける.gif



こまち大明神.png

蔦飾り線.png

ご精読いただきまして、
まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の5件 | 次の5件 江戸のトリビア ブログトップ