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粋でいなせで話がわかる!頼れる江戸の町方与力 [江戸のトリビア]

朝湯の与力.jpg

腰に大小たばさんだ侍が銭湯の女湯へ入って行くのを見て、不審がる町娘こまち。

朝の女湯は
貴重な情報源

この侍は、別に出歯亀の不審者ではありません。
江戸南町奉行所の、
れっきとした町方与力。

「よりき」はもともと「寄騎」と書き、いざ有事の際馬に乗って駆けつけ身分の高い者に加勢する中級武士のこと。
徳川泰平の世になると「力で与(くみ)する」という意の表記に変わり、各奉行職直属の配下が与力という役職になります。

時代劇によく登場するのは南北各町奉行所に所属する、25騎ずつ計50騎の町方与力。



江戸庶民の行政・治安全般に責任を持つ町方与力には、いくつかの職務上の特権が与えられていました。
いちばん有名なのは「江戸七不思議・女湯の刀掛け」。
女湯の刀掛け.jpg
町方与力は屋敷のある八丁堀界隈の女湯朝風呂にフリーパスで入浴することができた。

その理由として、以下のようなことが挙げられます。
①当時朝湯は主に男の習慣で、朝家事などが忙しい女性が朝から湯屋に来ることはほとんど無かった。空いている女湯の有効活用。
②「八丁堀の旦那」が立ち寄るというのが評判になれば、湯屋とその近隣の治安維持につながる。湯に浸かるついでの巡回警備。
③朝から湯に浸かりに来る者の中には、裏稼業に通じる遊び人なども多かった。そういう者どうしが隣の女湯は無人だと思って交わす会話が、与力にとっての貴重な情報源の一つとなった。

③については後付け説で、史実としての信憑性は薄いとする意見もありますが…。
ホントに「女湯で諜報活動」が行われていたと考えた方が、時代劇としては面白いじゃありませんか。

身ぎれいで粋な
「江戸三男」筆頭

朝湯だけでなく、毎日出仕前に「自宅に職人を呼んでの髪結い」も町方与力だけの特権でした。
髪を整える与力.jpg
『幕末日本図絵』より

ほかの武士たちは、基本的に家臣の者に頭と顔の手入れをさせる。家来のいない最下級武士は、寂しい懐と相談して何日かおきに髪結い床へ行く。
そんな時代に町方与力だけは、公費を使い自分の屋敷でのんびりヘアーカットとフェイスエステができた!

もちろんこれもただの贅沢ではなく、商売上世間の広い髪結い職人からいろいろ話を聞き出すという職務上の目的はあったようですが…。
結果的に毎日月代と顔をあたって髷を結い直し、常に身ぎれいでさっぱりとしていられたのが江戸の町方与力。

常に町人と間近に接し市井の犯罪にも関与するので「不浄役人」とみなされ、武士としての町方与力の地位は一段低いものとされていました。
ほかの武士がそんな自分たちに向ける眼差しへの、反骨心もあったのでしょう。 町方与力の身なりや言動は、次第に武士であっても町人寄りになっていきます。

小銀杏という独特の細髷を結い上げ、武張らず粋な着こなしで江戸っ子口調が様になる「八丁堀の旦那衆」。
「与力さま素敵!」
と女性はもちろん。
粋な与力に一目惚れ.jpg
男連中からも憧れの的であった町方与力は大相撲力士・火消しとともに「江戸三男」とされ、その筆頭に数えられました。

副業は禁止だが
豊かだった与力の暮らし

与力の年俸は、
知行200石=約600万円。

現代からするとまぁいいサラリーのように思えますが、部下を大勢召し抱え付き合いも多い役職を鑑みるとあまり高給取りとは言えません。

下で働く同心たちは生活のための副業が認められていましたが、中間管理職たる与力自身には許されませんでした。

では江戸の正義の味方・」与力たちは、みな清貧のうちに暮らしていたのでしょうか?
答えは否、町方与力の多くは江戸の役人としてはけっこう豊かな生活を送っていたようです。

給料以外の収入源としては、まず各方面からの「付け届け」。
ことに100万都市江戸では人口半分を占める町人階級の暮らしを守る町方与力の存在感は大で、大商人・大名などから月々盆暮れ「これでよしなに」というものが八丁堀の住居に届けられる。

その住まいがまた豪勢で、町方与力たちは300坪という敷地に冠木門付きの大きな屋敷を構えていたそうです。

そしてさらに敷地内には、貸し屋敷を設けることも許されていました。
誰にでも屋敷を貸していいというわけではなく医者・学者に限定されていましたが、それはかえって社会的地位が高い知識階級のみが入居するということで貸し手としては大歓迎。

そんな優良物件からの家賃収入も、町方与力の重要な財源でした。
与力屋敷賃貸住宅.jpg

話のわかる
警察官僚兼検事

時代劇でお馴染みのお白洲で町奉行が咎人に言い渡すのは、最終的な罪状とそれに対する量刑。
お裁きちゅ~る抜き.jpg
罪状認否自体はお白洲での調べの前に、町方与力の方で済ませておかなくてはなりません。

部下である同心・非公式の配下岡っ引きと目明したちが集めてきた証拠証言をもとに、与力が被疑者の罪を確定。
江戸町方与力の職務は、現代の警察官僚と検事の役を兼ね備えていたと言えます。

当時は基本的に自白が必須とされていたので、被疑者は複数の与力から「きりきりと白状いたせ!」と厳しく取り調べられます。
「石抱き」「釣り責め」など名前からして恐ろしげな責め苦も時して用いられたようですが、それには町奉行の許可が必要。

ですから町方与力は、むやみと拷問を行っていたわけではありません。
むしろ、その逆。

拷問までしなければ被疑者の口を割ることができない役人は、まだまだ未熟者。
取り調べを担当する「吟味方与力」はいかにして拷問を行わず説得で相手に罪を認めさせられるか否かで、職務上の実力が問われました。
「暴力でなく、口で被疑者を落とす」。
与力は落とし上手.jpg
現代の取り調べ室での、「話のわかるベテラン刑事とカツ丼」なんて絵柄を思い起こさせます。

町方与力の取り調べ現場に立ち会い「封建社会でありながら、比較的公平に行われている」という感想を抱いた海外の人が、こういう絵も残しています。
吟味方取り調べ.jpg
『幕末日本図絵』より

わが家の
治安維持隊出動

筆者がここまで書いてきた記事を読み、自らも正義感に目覚めた黒猫こまち。

「アタシも与力のように、
うちの平和を守るんだ!」

部下のクロヤマさんシロヤマさん・専用パトカーとともに、わが家の治安維持隊いざ出動!
黒猫チーム.jpg

…と思ったら。
今日も30度を超す厳しい残暑に、維持隊一同ひっくり返って。
暑さでお休み.jpg
う~む、うちの与力は
思ったより「非力」だなぁ…。

蔦飾り線.png

お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

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