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火事と同じくらい恐れられた、江戸時代の強風 [江戸のトリビア]


仕事帰り、楽しみに寄席へ行ってみたら…。
強風末廣亭.jpg
表の立札に今日の興行は「強風のため十八時まで」とあって、驚く黒猫こまち。

”風が吹けば桶屋が儲かる”というのは聞いたことがありますが、「風が吹いて寄席休み」とはいったいどういうことなのでしょうか?

火事慣れしていた
人口密集地の江戸っ子たち

「火事と喧嘩は江戸の華」。
こう謳われるほどとにかく火事が多かった江戸の町。

ヨーロッパに先駆けての100万都市・江戸は、大変な人口密集地。
なかでも庶民たちが暮らす下町の人口密度は、現在の3~5倍だったそうです。
そこに木と紙でできた棟割長屋などが軒を接してひしめいているので、いったん火の手があがるとあっという間に燃え広がってしまう。

当時は炊事や照明に炭やろうそくなどで直火を使っていましたから、ちょっとした不注意や弾みで火事が起きることは日常茶飯事。
生涯で一度も火事に遇わないで暮らしたという江戸っ子は、ほとんどいなかったのではないかというくらい。
文化の大火.jpg

それだけに江戸庶民たちは火事にも慣れており、火の手が迫ってもういけないという時は必要最低限の家財道具を持ってすぐに避難。
長屋の住人だったらあくる日からすぐ別の住まいを探す。
持ち家に住んでいる人も早ければ二・三日知り合いの家に身を寄せているうちに、火事で焼けたり破壊消火でつぶされてしまった家を前と同じ場所に再建できたといいます。

水路を使って豊富な木材が集められており腕のいい職人も大勢いた江戸だからこその、素早い復興。
今日の稼ぎはその日のうちに使い切る「宵越しの銭は持たない」江戸っ子の気風は、火事早い城下町に住んでいるから培われたとされています。

冬から春にかけて
乾燥と強風が襲う

日本全国でも発生件数が断トツに多かった江戸の火事、気候条件もその大きな一因でした。

冬場には平均して雨が少なく、隅田川が凍ったという記録があるほど現代より寒かった江戸。
そして11月~5月にかけては強い季節風が、八百八町に吹き荒れる。
ことに寒い時期の赤城や筑波からのおろし風は、身に応えたそうです。
赤城おろし.jpg

そういった強風が、江戸の町全体をカラカラに乾かしてしまう。
乾燥は大敵.jpg
乾燥はなるほどお肌の大敵でもありますが、小火で済んだかもしれない火の手の勢いを増す「火事の援軍」にもなりえますから恐れられたのですね。

興行は暮れ六つ限り
強風時の寄席

火事そのものと同じくらい強風を警戒した幕府は、あまりにも空気が乾燥して風の強い時は
・庶民の外出自粛要請
・表で火を扱う屋台のそば屋うどん屋などの営業禁止
といった対策を講じていました。

その一つが、
「風強き時には、寄席は暮れ六つをもって興行を仕舞うべし」
というお触れ。
考えるアイコン.jpg

舞台効果を最大限に発揮するため明るい日中(午前6時~午後4時)だった芝居興行と違い、芸人の顔がぼんやり見えているくらいでいい寄席は夜でも営業していました。
そのための灯りは、高座脇と客席に立てられたろうそく
ろうそく立てた寄席.jpg
このろうそくがもし倒れたらそこからどんな大きな火事が出るかもしれないという危惧から、強風時には日が暮れたら寄席は閉めなさいよということになったわけです。



ここでご存知の方も多いかと思いますが、寄席とろうそくについてのトリビアを一つ。

江戸時代の寄席では興行一番おしまいに登場する芸人が一席申し上げたあと、「本日はこれぎりでございます」ご挨拶しながら高座脇にあるろうそくの芯を鋏で切って消していました。

「切る」では縁起が良くないので「打つ」と言い換え、トリでろうそくを消せる立場まで出世した噺家が「芯打ち」=「真打ち」と呼ばれるようになったそうです。

私も小さなろうそくの明かりを、聴いてくださった方の胸にささやかながら灯せるよう精進重ねてまいります!
高座のろうそく.jpg

蔦飾り線.png

ご精読ありがとうございます。
ぜひまた、お立ち寄りくださいませ。
入船亭扇治拝

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