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5分で読めて楽しめる、江戸茶の湯と千利休トリビア [江戸のトリビア]


令和2年9月は、北海道でも熱帯夜を記録するなど全国的に暑さが続いています。
汗をかいたらまず冷たい清涼飲料水か、生ビール!

でも、ちょっと待ってください。
暑い時こそ香り高い日本茶でゆったり気分、
味わってみませんか?

えっ、この役者さんがこの役を
お茶にまつわるトリビアクイズ


私が毎月担当しているカルチャー講座、
9月のテーマは「江戸の茶道」について。
1時間ほどの解説に続いて、落語『茶の湯』を1席。

その時の講座内容から、ブログ記事用に要所を抜粋・再編集してみました。
まずは皆様を、風雅なお茶室へとご案内。
お茶室こまち.png

我が家の黒猫こまちが、
今日は亭主を務めさせていただきます。
お茶のお作法ではありませんが日本の習慣を守り、
畳のへりをよけているところ見てやってください。

このあとごく簡単に、
わが国のお茶についてのお話を申し上げますが…。
まずはTwitterでも出題のトリビアクイズ。
日本の侘び茶道中興の祖と言えばこの方、 千利休。
千利休とこまち.png

はいはい、こまちもあとでちゃんと出番あるから。
今はちょっとCIAOちゅ~るなめながら、話聞いててね。


1522年堺の豪商の子に産まれた利休は、
商いの傍ら嗜みとして修めたお茶の世界でも才能を発揮。

現代の茶道につながる
「極力華美・無駄を排し、
茶室空間・道具と礼式・作法を一体化させる」
侘び茶の道を確立したのが、60歳を過ぎてから。

歳をとってから大きな仕事をしたというのは、
噺家だと圓生師匠を思い起こさせます。
その才知と人格ゆえに織田信長・豊臣秀吉に重用され、
趣味人でありながら政治経済の世界でも重要人物だった利休。

しかし経済自治区だった堺の扱いなどを巡って、中央集権化を着々進める秀吉と利休の考えはだんだんと違う方向へ。
ついには「懐刀」と言われるほど寵愛を受けていた秀吉の逆鱗に触れ、1591年利休は切腹して果てます。


劇的な生涯を送った我が国お茶の世界の巨人は、
今まで様々な映画やドラマの題材となってきました。

ざっと思い出しただけでも、
平幹二郎
三船敏郎
三国連太郎
伊武雅刀
石坂浩二…

きら星のごときスター・個性派俳優の方々が、利休を演じています。
そうそう、桂文枝師匠もNHK大河ドラマ『真田丸』で気持ちよさそうに演じてらっしゃいましたね。

さてここで、大河ドラマ絡みの問題です。

菅原文太
高倉健
鶴田浩二

と並べば、言わずと知れた東映任侠映画の三大スター
この中で一人だけ
NHK大河ドラマで千利休を演じた俳優がいます。
いったい、誰でしょうか?

すぐ答えがわかった方は、そのまま次項へどうぞ。
思いつかない方、ネットでお調べになる前に
まずはご自分で考えたり記憶を探ってみてください。
正解は、記事のおしまいにて。

丸めて飲んでいた、最初期のお茶


☆奈良時代、遣唐使や中国・インドから来朝した僧侶らが茶を飲む習慣を日本に伝えたとされる。
☆平安時代に入り、唐代へ仏教留学した最澄・空海らが茶葉を持ち帰る。

この頃のお茶は天皇・高級貴族の口にしか入らない珍重品ですが、茶葉を煎じた味と香りを楽しむ嗜好品ではありませんでした。
心身の疲れを癒すための、薬として用いられていたのです。

飲み方も今とはまるで違い、
まず葉を蒸して丸め団子にして保存。
その団子を必要なだけ削り、
上から熱湯をかけて飲むのが当時のお茶。


その名も見た様で
団茶
現代のティーバッグや、カップラーメンにちょっと似ていますね。

喫茶作法の始まりと、対極に娯楽としてのお茶も


☆鎌倉時代、宋代中国へ禅の修行に行った栄西が持ち帰った茶の実を九州背振山に植えたものが育ち、初の国産茶葉に。
☆栄西のあと中国へ禅宗留学をした道元が、禅の教えを取り入れたお茶を飲むための作法「喫茶」「行茶」などの茶礼を定める。

当時の「喫茶」というのは禅宗修行の一環でもあり、
いろんな細かい作法が定められています。

現代のように、
「ちょっと喫チャ店で、コーシー飲みながら競馬の予想して来るわ。ついちゃあ母ちゃん小遣いちょうだい、愛してるよー」
なんて気軽なもんじゃなかったんですね。

貴族の間では高尚風雅な嗜みのお茶、
武士階級ではお茶が娯楽だった時代がありました。
鎌倉時代末から室町時代にかけて武士たちの間で大流行した
「闘茶」

当時高級茶葉の本場とされた京都栂尾産・明恵(みょうえ)上人謹製のものを、「本茶」
それ以外のお茶を「非茶」と呼び、色・味・香りで本非どちらかを当てるという遊び。

方々で戦乱が続き明日の命も知れぬ武士にとっての、
手っ取り早い刹那的娯楽として大流行。
莫大な金銭・刀剣や武具も賭けての闘茶はあまりにも賭博性が強すぎるということから、寺方や朝廷・幕府から禁令が出されたほど。

ゴージャス系茶道が人気だった時代も


☆室町時代
同朋衆
(将軍に文化娯楽について進言する芸能人。
劇団四季の浅利慶太氏みたいなものですね)
だった能阿弥が、

中国渡来の台子
(だいす。茶道具を収めるための移動式棚。
テレビの通販で売っている、急須や茶碗を入れるキャスター付きのワゴンを想像していただければ)
などの道具と器を組み合わせた
「台子飾(だいすかざり」 というお茶の礼法を完成。

能の足の運びや弓の技法も取り入れた、
館うちでのいわゆる「書院の茶」全盛の時代がしばらく続きます。
禅と一体だった頃の喫茶法よりは様式美を重視し、
扱われる道具も高価な渡来ものがほとんど。
代表的なのが、こちら。
カラスと曜変天目.png


釉薬のかかり方が特徴的な、曜変天目茶碗
わが国では4点所蔵されているだけの国宝・文化財。

カラスたちには、表面の文様が大きな目玉に見えて怖いようです。
北の大空を舞う、農家を守る紅の翼
の記事の、鳥追いカイトみたい。
一緒にしちゃ、茶碗に失礼ですが。

書院台子のお茶は貴族階級だけでなく、
闘茶を禁じられた武士たちの間でも盛んにおこなわれました。

作法を守り茶を嗜むほかに、所蔵する高価な茶道具を招いた相手に見せて自らの経済力を誇示するのも大きな目的の一つ。
また当時の茶会は宴席でもありましたから、一派の武士たちが集まって敵対勢力との対し方などを稟議する 密談の場 としてもお茶席は重要でした。

華美を排した、侘び茶の時代へ


1980年代バブル期の日本のように、
どんどんエスカレートしたゴージャス系茶の湯
それに疑問を抱き本来の禅と結びついた 「侘び茶」 を提唱したのが、とんち話でおなじみ一休禅師に学んだ村田珠光

「できるだけ華美贅沢を排し、身分の差関係なく茶の席に連なる。
足らないものを欲しがるのではなく、今あるものに感謝し満足する。
五感を研ぎ澄ませて茶を味わうことで、人や自然と虚心坦懐に触れ合う」

そういった考えの茶席で使われる道具は、
派手な中国産から素朴な国産品が増えていきます。
私の生まれ故郷岐阜県=美濃の国の志野焼もその一つ。
志野茶碗とこまち.png


「これで猫にご飯食べさせときますとな…。
ときどきその猫が、旅の方に三両で売れますんで」
落語『猫の皿』を思い出したんで、
獲物ゲットバージョンのこまちを配してみました。

そして落語に出てくる茶道具と言えば…。

小井戸茶碗.png


名器、井戸の茶碗。
高麗産ですが、先ほどの天目茶碗より質実剛健なイメージ。

私がやった落語『井戸の茶碗』を聴いて名人・古今亭志ん朝師匠が、アドバイスをくださったことが。
知らなかったので千代田朴斎や清兵衛が茶碗を持つ時、私は湯?みみたいな形だと思ってやってました。

ご覧の通り今に残る井戸茶碗は、
口が大きく開いているのが特徴。

「だから両手で包み込むんじゃなく、下から支えるように持つのが正しいんだよ。
いや僕も最初は知らなくて、親父(古今亭志ん生師匠)に言われて初めてわかったんだけどさ」

華やかに笑いながら教えてくれた、平成・昭和の名人

名人古今亭志ん朝のお宝エピソード
の記事でも書きましたが、そのあまりにも早過ぎる旅立ち。
しかしたくさんの想い出を、お客様や仲間にくれた心優しい大先輩。
あちらへ行った時少しでも恥ずかしくないよう、私ももっと精進しなくちゃ。

千利休の残した、三つのもの


クイズの正解の前に、もう少ーしだけお茶トリビアを。
茶の湯(お茶が正式に幕府の礼法に取り入れられ「茶道」となるのは、利休の没後)の巨人・千利休の偉大なる遺産について。

①まず、名言
利休はお茶席に関する言葉を数多く遺していますが、
その代表格はなんといっても

一期一会

これです。

以前から禅の教えの中にこの考え方に通じるものはあったそうですが、それをこれだけ端的に言い現わすとは。
さすが無駄を省いた侘び茶の巨匠、本当に頭のいい方で言葉の使い方のセンスも抜群だったんですね。
私も落語や雑俳をやるうえで、見習いたいもの。  

②意外な日用品
皆さんは普段お使いになることはないでしょうが、
昔の人には必需品
現代でもお相撲さん・役者さん・私ども噺家、
そして昔かたぎのヤ〇ザさんが履いている

雪駄

が、利休ゆかりの発明品。

いわれは諸説あって、
☆雨の日にお茶会に来る方が、草で編んだ草履履きだと道中足が濡れて冷たい。
そこで利休自身か知り合いの茶人が、草履の裏に防水用の皮を貼り鋲で留めることを考案。

☆庭木に水をやっている最中の利休が、濡れた地面で足を滑らせたのを見た織田信長。
大事な茶人の体に障りがあってはならじと、家来に命じて滑り止め目的で動物の皮を貼らせた。

うーん、どっちもうなずける説。
いずれにしても利休がいなければ、
この世に存在しなかったかもしれない雪駄。
私たちは、千利休のお墓の方には足を向けて寝られません。

③今でも頻繁に使う、日常語
自身の造語ではありませんが、

名物

も千利休あっての言葉。

今では
「ナゴヤドーム名物ドアラのバク転」
「広島名物もみじ饅頭」
といった使い方をしますが、
もともとは茶道具の銘品を指した言葉。

さらに「名物」も時代によって3つに分かれており
(1)利休以前の銘品=大名物
(2)利休自身・門弟の鑑定による品=名物
(3)利休の教えを継ぐ小堀遠州が名器と定めた道具=中興名物?
の3種類。

これから類推するに、
「この品は、いいですね。これは正真正銘、名物と言っていいでしょう」
という言い方は以前からあったとしても、頻繁に使い人口に膾炙させたのは利休だったのではないでしょうか。

『開運!なんでも鑑定団』の中島誠之助さんの名文句
「いい仕事してますね!」みたいに、
当時の流行語になっていったのでは。
そう、愚考する次第です。

さあ、トリビアクイズ正解発表!


ではお待たせしました。
おしまいに
「東映任侠路線三大スターで、
大河ドラマで利休を演じたことがあるのは誰?」
答えを、こまち宗匠から発表してもらいましょう。

ここまでわからなかった方のために、ヒントを二つ。
・三人のうち一人は、映画に比べテレビドラマ出演の本数が極端に少ない。
・幕末を舞台にした大河で、利休が出たドラマと近い時期に主人公を演じたことがある俳優が一人いる。

ここから消去法で考えると、けっこうすぐわかっちゃうかも。
それではこまち師匠、お願いします。


蔦飾り線.png

お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。
ぜひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治

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