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あの名人の知られざるエピソード再び! [落語情報]


2001年63歳の若さで惜しまれつつ旅立った、
名人・古今亭志ん朝。
粋で華やかな大看板の、今だから明かせる楽屋噺。

懐かしのテレビCM


毎回楽しい話題や動画を提供してくれる三遊亭金八師から、
あの大名人噺家の新事実発掘?それとも黒歴史?~今だからしみじみ懐かしい 昭和の寄席風景(2)~
に続いてあの名人の面白エピソードが届きました。
【以下、金八師からのメールを転載。ただし当ブログの品位を保つため、文章の一部を伏せ字にしております。】

蔦飾り線.png

志ん朝師のバスピカCM動画です。
●志ん朝師匠!幻のCM第二弾!「バスピカ」動画を遂に発見 
1977~1988津村順天堂CM集
先日、志ん朝師の「バスピカ」の広告をお伝えしましたが 遂にCM動画を発見しました!
いやぁ、若い。40歳になったかならないかの志ん朝師 清潔でちょっと「粋な職人」といった雰囲気もあり・・・

二本目の動画の最初の笑顔もゴキゲンだし 最後の「明日の朝は、お風呂ピカピカ」
と ちょっとクサ目に鼻の穴おっぴろげて(笑)セリフを言っているところが個人的に何ともおかしいです。

これは永久保存版!


三遊亭金八が見た矢来町の思い出

①前座の頃、新宿末広亭の夜席。中入りになって志ん朝師を囲んで 楽屋でバカっ話。上演中は末広の楽屋は高座と隣り合わせですから、会話も声をひそめかげんですが、中入りだと高座に気を使う必要もないのでついボリュームが大きくなりがち

そこへ持ってきて話題は「酒の失敗談」。最初は軽い話がだんだん盛り上がり、しまいにはオ◯ッコウ◯コをお漏らしした(笑)というレベルにエスカレート。

またよりによって居合せたのが歌奴師、しん平師など楽屋話も一級品のオカシサの面々ですから
「オレ、なんかこんなところで洩らした」
「それならいいよ、オレなんか・・・」
小学生の自慢大会のレベル!(笑)。

その時の志ん朝師が自分がウ◯コを漏らした時の話が最高におかしくって輪を掛けて大騒ぎ!キャアキャアやってたら・・・
木戸からのインターホンが「プー」。取ったのがタテ前座だった柳家桂助兄(現・一琴師)。

プー音で
「いけねぇ!うるさかったかな?」
師匠方が一瞬シーンとなった。
そこで受話器を置いた桂助兄が一言
「志ん朝師匠・・・うるさいです!」

アタシは腹の中で大笑い。

ハネてから末広の純子ねえさん(当時お席亭・杉田恭子さんのお嬢さん)が 「中入りの時、何あれ!。志ん朝さんの声が一番うるさかったわよ!」・・・ 志ん朝師匠ウ◯コ自慢で寄席をしくじるという一席でした。



②1993年の平成5年夏の住吉踊り。アタシはタテ前座。
太鼓を叩いていたのがやはり前座の橘家亀蔵(現・圓十郎)。 またこの太鼓がセコくて(笑)。
「こりゃ言わなきゃダメだな!」・・・

アタシが太鼓部屋に行って戸をガラっと開けて背中に一喝
「おいっ!何だその太鼓!」。
くるっと振り返った顔を見ると叩いてたのは
「志ん朝師匠!」(笑)

一瞬、間があって志ん朝師が一言「ゴメンよ」だって(笑)。
「志ん朝師匠、前座に小言を言われ謝る」の一席でした。

人手不足だった私の前座時代


金八師、珍しい動画発掘と楽しいネタを軽妙な文章で紹介してくれて、どうもありがとう。
今度「鳥貴族」でごちそうするね。

②のエピソードで思い出したのが、私扇治の前座時代。
ひと口に前座といってもランクがあり、一番下が「高座返し」。座布団やメクリを返す・奇術や曲芸の道具を運んだりします。

上から二番目に古いのが「太鼓番」、出囃子・曲芸や紙切りなどの地囃子の太鼓を担当。 そして一番のベテランは「立て前座」と呼ばれ、誰がどんな演目をやったか帳面につけながら寄席の番組全体の差配をする重要な役割。

私が見習いから楽屋入りした時は、記録的に前座が少ない年でした。
バブルが始まりかけ景気がいいんで、噺家なんてよほど酔狂な者でないとなり手がいなかった時期。

ただでさえ入門者が少ないところへもってきて小三治・円窓・小朝という「破門トリオ」が弟子の首をバッサバッサと切ったんで、本当にぎりぎりの人数で寄席の楽屋を回してました。
普通なら立て前座になるのは楽屋入りして2~3年たってからですが、人材払底の折から私が立てをとったのは入門後1年未満

旧池袋演芸場の立て机(ネタ帳をつけるための座卓)に向かっている私を見て先代歌奴師匠が
おやっ、今日の立ては扇べいさんかい。
驚いたねこりゃ。一人でだいじょぶかーい」
『船徳』をもじって冷やかしてました。

なんだあの太鼓は!


ある日の鈴本演芸場昼席。 楽屋その時の前座メンバーは
・立て:入船亭扇べい(扇治)
・太鼓番:三遊亭にいがた(白鳥)
・高座返し:林家きく姫 
という、今見返してもぞっとする手薄な布陣。

でもなんとか三人で力を合わせ、大きなしくじりをすることもなく(小さいのはたくさんあった)1時間ほどが過ぎた頃。 高座に曲芸の師匠方が上がり、ずっと太鼓を叩いていたのが現・白鳥師。 今でこそあんなに立派になった白鳥師ですが、前座時代あまり太鼓がうまくない・いやはっきり言えば「超ヘタ」な人でした。

でもほかに人がいないので、舞台袖で眼鏡を拭きふき一生懸命演奏しています。
それを楽屋で聴いていたのが、 古今亭志ん輔師匠。 芸はもちろん、色んな邦楽を習ったり鳴り物にもとても厳しい方。 白鳥さんの調子っぱずれな太鼓にイライラしながら指で机を叩いてましたが、ついにこらえきれなくなり

「おい扇べい、お前そこで偉そうに立て机に寄っかかってる場合じゃないだろう。あのお囃子が聴こえないのか? なんなんだあの馬鹿セコな太鼓は。 あれじゃ三味線が合わせにくいし、何より高座の師匠方の間が狂っちまう。

太鼓打ってるにいがたとそっちは、同期だろ? だったら香盤関係なく臨機応変に、太鼓番が鳴り物苦手だったら上の者でも代わってやるんだよ。
あーもう聴いちゃいられない。ほらボーッとしてないで、立てはにいがたにやらせてお前が太鼓叩いてこいよ!」 

えらい剣幕で怒られたのですが・・・。
音痴な私も鳴り物の腕は、白鳥師と五十歩百歩。 「あんまり変わらないと思うんだけどなぁ」 大先輩のお小言を聞かないわけにはいきませんから、舞台袖に行き白鳥師に事情を話して太鼓番を交代。

3分ほど演奏したところで、志ん輔師匠が苦笑いしながら舞台袖に。
「俺が悪かった。どっちが叩いてもおんなしだったんだな。じゃあこの高座は、俺が太鼓打つから」
私は丁重に頭を下げて、バチを大先輩に。

そこからは、華麗なバチさばきで演奏する志ん輔師の独壇場。 あの時の曲芸の師匠方、後半はさぞやりやすかったことでしょう。

ここでうちの黒猫こまちが寄席が開場する時の「一番太鼓」披露したいそうなので、ちょっとだけ聴いてやってください。

蔦飾り線.png

前座時代の想い出にひと時浸っているうち、『第2回web版言の葉落語会』互選・選句締切が近づいてきました。
ご投稿いただいた結果はできるだけ早くまとめて順次公開してまいりますが、22日から私もちょっとだけ忙しくなりますのでお時間頂戴しますこと、ご容赦ください。

お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。 せひまた、ご訪問くださいませ。
入船亭扇治拝

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