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あの実力派真打から声のご挨拶と、ちょっと素敵なエピソード [落語情報]


雑俳連衆より、皆様にメッセージ


洒落の力で、コロナを吹き飛ばせ!
江戸言葉遊び「雑俳」へのお誘い、沢山の方にご訪問いただきまことにありがとうございます。




興味を持ってくださった方々・落語ロスをかこっていらっしゃる皆様に、あの噺家からメッセージが届いております。

芸人が雑俳で遊ぶ時の集まり「連」が今3つありますが、中で一番歴史がある『つ花連』のメンバーのあの人。


まずは、お聴きくださいませ。



いかがでしたでしょうか。


今回雑俳の兼題の一つ
「は・な・し」を五七五の最初に置いての川柳
に託してご挨拶申し上げたのは、落語協会理事・入船亭一門の筆頭の
入船亭扇遊


芸歴・略歴は


でも簡単にご紹介しておりますし、落語協会ホームページ・Wikipediaなどでもご覧いただけますので、今回は少年時代の入船亭扇遊・秘蔵エピソードをご紹介いたします。


あの怪獣映画との出会い


昭和36(1961)年、夏。場所は静岡県伊東市。明日から2学期が始まるというのに、当時8歳の岩田茂(扇遊本名)少年はその夜興奮のあまり寝つけませんでした。


観たくて観たくてしょうがなかった映画に、夏休み最終日の今日お母さんが連れて行ってくれたのです。
作品の題名は
『モスラ』


本多猪四郎監督・特技監督円谷英二。
フランキー堺・香川京子・小泉博ら豪華キャスト。
東宝が自社の名を冠した「東宝スコープ」の大画面で贈る、その夏話題の怪獣映画。




南海の孤島・インファントの守り神。羽を広げると全長100メートル余りの巨大な蛾の怪獣、それがモスラ。

悪徳ブローカーに連れ去られたインファント島の妖精・双子の小美人を救うため、卵から孵ったモスラはカイコのような幼虫の状態で海を渡り日本へやって来ます。


巡洋艦や戦車の火器をものともしない幼虫モスラは、日本に上陸。青梅街道(!)を猛進撃して首都圏に入ると、なんと東京タワーに巨大な繭をかけしばし眠りに就く。


これを好機と防衛隊は、原子熱戦砲で繭を攻撃する作戦を展開。
特殊車両の砲口から放たれた灼熱の炎でモスラの白い繭は跡形もなく焼き払われたと思われたその時。


燃え盛る紅蓮の火中から現れたのは、極彩色の羽根を大きく広げたインファントの守護神。
成虫モスラだった!!!




おお、こうして記事を書いているだけで興奮してきたぞ。
このままずっと、あらすじ書いていたいな。


でもそうはまいりませんので、視点を岩田少年の住む海辺の町に戻しましょう。


モスラに、会いたい…!


いい歳をした大人の私が、あらすじだけでこれだけ燃えるのです。
純粋で多感な8歳の少年が、映画を観たその晩寝られるわけはありません。


明日から学校だから早く寝なさいと母親から言われ布団には入りましたが、目は大きく開いたまま。
その目の先の暗闇には、昼間観た映画のあの場面このシーンがまるでスクリーンに投影されているかのように浮かび上がってきます。




双子の小美人の歌とインファント島の住人たちの祈りで、虹色に発光する巨大なモスラの卵。


波を蹴立てて海を進む、幼虫モスラの雄姿。


地上と上空からのサーチライトで照らされた、東京タワー上の大きな白い繭


いよいよ出現した無敵の成虫モスラの羽ばたきで、吹き飛ばされるビルや防衛隊の戦車。


不思議な音とともに、両の羽根から放たれる鱗粉。


さあ人類対巨大蛾怪獣・モスラとの闘いは、これから佳境へと向かって行くのであった!!!!!。




いかん、また我れをわすれてしまった。

落ち着け岩田少年。(落ち着くのはお前だとのツッコミ)


さあその晩の岩田君の頭は、モスラ・モスラ・モスラのことばかり。
ああ自分もモスラに会いたい…。


落語『目黒のさんま』の殿様のようにモスラに恋い焦がれた岩田少年の脳裏に、その時素晴らしい考えが浮かびました。



映画と同じようにすれば…。


インファント島の人たちの祈りの踊りと小美人の歌に呼応して、モスラは卵から孵り海を渡って日本を目指します。


あれと同じことをすれば、モスラは一途な少年の気持ちに答えてこの伊豆の海にきてくれるんじゃないか。
いや、きっと来てくれる。


そう確信した岩田少年、その晩はまんじりともいたしません。
まだ暗いうちから母親に気づかれないようそーっと起きだすと、洋服に着替えて家からすぐの浜辺へと急ぎます。


まだ明けやらぬ東の空。
あたりはまだひっそりと眠りの中、聴こえるのは寄せては返す波の音だけ。
そう、この波は遥か南の彼方インファント島から打ち寄せているのです。


まだ見ぬ絶海の孤島にいるモスラに向けて、岩田少年はモスラ召喚の儀式を始めました。


両手を大きく上げては下ろす、祈りの踊り。
口ずさむは、
作曲:古関裕而
共同作詩:本多猪四郎・関沢新一・田中友幸
小美人役のザ・ピーナッツが歌って大ヒットした『モスラの歌』。


さすがにあたりを憚って踊りの振りと歌声は小さめながら、頭に焼き付いているそのままの儀式を演じきった岩田少年。
この祈りが早くモスラに届くといいな…。
心待ちにしながら朝ご飯の待つ我が家へと帰っていきました。


しかし、4日目に…


あくる日の朝も、その翌日の払暁も。
祈りを3日続けた岩田少年は早起きでかなり疲れていました。
9月の声を聴いてからぐっと朝夕冷え込むようになり、連日冷たい潮風に当たったせいか少し熱っぽいような気も


でもあれだけお願いしたんだから、モスラはきっと今ごろ海を一生懸命泳いで向かって来てくれているはず。
もう、御蔵島あたりを通過したのでしょうか。


うちでご飯を食べていても学校の授業中も、モスラの姿が頭に浮かんで上の空。
なんだか、いやな咳も出るようになって来ました。
本当に風邪をひいてしまったようです。


心配したお母さんから言われて、いつもよりずっと早く床についた岩田少年。
夜が更けるにつれて、熱がどんどん上がって行きます。


それでもうわ言のように、
明日も早起きして、海へ行かなくちゃ。
モスラにお祈りしなくちゃ。


だってモスラは、もうすぐそこまで来てくれているはずだから。


しかし普段からあまり丈夫な方ではなかった岩田少年は祈りを始めて4日目の朝、大変な風邪をひきこんで海へ行くどころか枕から頭が上がらない状態


涙を飲んで、祈りの儀式は中断を余儀なくされたのです。




熱が下がって母親から許しが出た岩田少年は、急いで海へ行ってみました。
自分が寝てる間にモスラはもう伊東に着いて、沖の方で待っててくれるかもしれない。


一縷の望みを胸に浜辺に駆けつけた岩田君の目に映ったのは
いつもと変わらず寄せては返す、
ただひたすらに青く広がる、見慣れた伊豆の海の光景だけでした…。


モスラ幼虫.png



オレは、信じてるよ


こうして憧れのモスラ召喚を志半ばで諦めた伊東の純粋な少年は、やがて落語が好きになり縁あって九代目・入船亭扇橋の一番弟子となります。


その後の活躍は、落語ファンの方ならご存知の通り。
今では各地の落語会からお呼びがかかり、各寄席でも毎年必ずトリを務める実力派。


私もたまに一緒の寄席に使ってもらい、千穐楽などの打ち上げがあると筆頭弟子は2軒目か3軒目で決まって好きなカラオケに行きたがります。


お酒が入って気持ちよく十八番を何曲か歌って、さらに興が乗ると『モスラの歌』振り付きで披露。
さっきまで高座で『芝浜』やってた人と、同一人物とはとても思えません。

でも、当人は本当に気持ち良さそう。


歌い終わると決まって、


「あん時さ、子どもの頃田舎でモスラ呼んだ時。
あれもうちょっとだったんだよな。4日目に風邪ひかないでちゃんと海行ってお祈りしてりゃ、モスラはいつかきっと来てくれたはずなんだ。
オレ今でも、そう信じてる」。


当人は、もちろん酒席での洒落で言ってるんでしょう。
でもそうやってモスラのことを語る筆頭弟子の眼差しは一瞬、紫綬褒章までいただいたベテラン噺家のそれではなく、伊東の純粋な岩田少年に戻っているような気がします。


そんな兄弟子が、先ほど雑俳を1句披露してくれました。


あちらは「は・な・し」の川柳だったので、私の方は天地随意の「し・な・は」を五七五に置いて、うまくはありませんが。


モスラ.JPG




今人類は、モスラより恐ろしい未知のウイルスとの闘いを強いられています。
気軽に外出できない仕事なくなる居酒屋も早く閉まる、不便でストレスを溜めるなと言っても無理


でも、日本あげてコロナ感染抑え込みに挑まねばならない時。

みんなの忍耐の末には必ず閉塞状況の繭を破って、美しく巨大なモスラのように「新しい希望」が羽ばたくことでしょう。


それまで当ブログで少しでも明るい話題お届けできるよう、アンテナ張っておきます。

趣味のデジタルイラストも、日々コツコツ描き足し中。



雨に唄うよ、猫の恋
よろしければ、また覗いてやってください。
お待ちいたしております。



お開きまでお付き合いくださいまして、まことにありがとうございます。


入船亭扇治







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