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テレワークで落語の稽古? [落語情報]


二ツ目勉強会の想い出


仕草について師匠からアドバイスを受けた、もう一つの想い出。

入船亭扇橋の初公開音声 第2弾
の続き、師匠扇橋ともう一人の偉大な先輩とのエピソード。

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今も池袋演芸場で行われている『二ツ目勉強会』


昔の寄席では、急いで次の仕事に行く予定がない芸人はけっこう楽屋に残ってのんびりしていったものです。
お茶を飲んでバカっ話をしつつ下の者の高座を聴いていて、あとでアドバイスをくれるなんて先輩も多かった。


それが時代が変わり噺家もそれぞれ忙しい人が増え、楽屋で長居するのはいかにも「あたしゃヒマでござい」と宣伝してるようなものだからと出番がすんだら皆さっさと帰るように。


落語協会幹部連が最近なかなか若手の高座を聴いてやる機会がないからじゃあそういう場を設けましょうよと、亡くなった古今亭志ん朝師匠の肝入りで始まったものです。

忙しい志ん朝師匠が、毎月この日のために予定を開けて客席のいちばん後ろに座りお客様と一緒に5人の出演者の噺を聴いてくれる。


志ん朝師匠が「空いてたら二ツ目の噺、聞いてやってくださいよ」とまめに声をかけてもくれてましたから、先代小さん・小三治・円蔵・先代圓歌などそうそうたるメンバーが最後列に陣取り、お客様高座より振り返ってそっちを見てるなんてこともよくありました。


『へっつい幽霊』でトリ


東芝銀座セブンという、博品館並びのビルのホールで当時は毎週土曜の夕方開催されていた二ツ目勉強会。
私が一番おしまいに出て『へっつい幽霊』という噺をやった時のことです。

落語『へっつい幽霊』あらすじ
道具屋が市で仕入れた土間へ据えるかまど「へっつい」。
大変に良い品だと、すぐにいい値で売れた。
いい商いがあったと早めに店じまいして寝ている道具屋の表を、真夜中割れるように叩く者が。
誰だろうと出てみるとへっついを買った客。「あのへっついから幽霊が出るからうちに置いとけない」と頼みこまれ、売り値の半金を返して引き取ることに。
あくる日店に出すとへっついはまたすぐ売れるが夜になると叩き起こされて半金で返ってくる、その繰り返し。
困った道具屋夫婦「あのへっついにはもうずいぶん儲けさせてもらったから、ここいらで1円つけてもいいんで誰か強い度胸のある人がもらってくんないかな…」。
話しているのを塀越しに聞いた博奕打ちの熊五郎、いい小遣い稼ぎだと道楽者の若旦那を誘ってへっついを引き取るが…。


終演後の講評会で「箸にも棒にも」


その時聴きに来てくれた幹部は志ん朝・先代さん助・木久蔵(現・木久扇)そして扇橋。


終演後はそばの和風ビアホールで打ち上げ。そこで幹部からさっきの高座の感想・講評がありこれが勉強になります。
その時はさん助・木久扇両師は帰り、講評会の席に並んだのは志ん朝師と私の師匠。


乾杯のあとひとしきり飲み食いがあって、そろそろ落ち着いたかなというところで志ん朝師の仕切りでいよいよ幹部からの講評の始まり。

出演順に大先輩から、感想とここはこうした方がという的確な助言を受ける二ツ目たち。


志ん朝師は「気軽に飲みながら」と言ってくれますが、とんでもない。みな背中を伸ばして緊張の面持ちで聴いています。

そして、私の番になりました。


「えー、最後は扇治くんの『へっつい幽霊』。ここは師匠がいらっしゃるんだから、まず扇橋さんからお願いしましょう」。


志ん朝師から振られて、焼きおにぎりモグモグしてたうちの師匠「ん?」という表情で顏を上げると
「…そうですねぇ、別に、何にも言うことぁありませんね」


そっけない物言いに慌てた志ん朝師、
「いやでも、彼は彼なりに難しい噺に挑戦したんだから、ここは師匠としてここはこうしろとね、直してあげてくださいよ」


それでも師匠は頑なに
「アニさんの前ですけどね、直すってのはどっかひとッ所でもいいとこがあるから直せるんで。こいつのさっきのあれじゃ、いやはや。当人の見た目とおんなじで平板でのっぺりしてて、箸にも棒にもてやつで手のつけどころがない。
だからアタシには、何にも言うことができないんで」


人一倍周りに気を遣う方だった志ん朝師匠
「あ、ああそうですか。
わかりました、師匠には師匠のお考えがあるんでしょうから…。じゃあ私もこれはやる噺なんで、一門の流儀は違うんだけど技術的にこうしたらもっとよくなるなんてことをいくつか言わせてもらうんで参考までに聞いてください」。


とってもいいアドバイスをくださったんですが、こっちは師匠のことも気になってしょうがないんで志ん朝師に顔は向けながらも目はチラリちらり扇橋の方を伺っている。

やがて店の時間もあるからとお開きになり、師匠の鞄を持って東中野の扇橋宅へ帰りました。


帰途の途中でも、うちについて私が台所の洗い物をしている時にも今日の高座の話は一切なし

おかみさんから「今日はもう遅いからお帰りよ」言われた私は師匠夫妻に挨拶をして、歩いて5分ほどのアパートへ帰りました。


深夜に、家の電話が鳴る


その晩は銭湯に行ったかどうだったか…。
着物を吊るしたり明日の支度をすませたりで、もう深夜0時をを回ってそろそろ寝ようかなという時。


プルルルル、プルルルルッ[電話]。電話が鳴ります。
こんな夜中にいったい誰だよと受話器をとり「はい」と小さい声で答えると向こうから
「ああ、俺だ」
師匠扇橋の声。思わず居住まいを正し「ハイっ」と直立不動で聴きいると…。


「さっきはご苦労さん。いや、あん時は志ん朝さんが一緒だろ。『へっつい』はおとっつあんの志ん生師匠のが絶品で、志ん朝さんも自分でけっこうやるネタだからなぁ。


俺のは師匠(先代三木助)の形だから古今亭のやり方とまるで違うんで、先輩の志ん朝さんの前だとなんだか言いづらくてな。

今度会った時言おうと思ってたけど、お前も前座じゃないからのべつうちぃ来るわけじゃねえしな。


こっちもそのうちとか言ってると忘れちまうから、今夜のうちに電話で言っとくな」。


それから30分近く、師匠は電話口で私の『へっつい幽霊』について色々と手直しをしてくれました。


「こうやるんだ」「見えません!」


おもに言われたのが、博奕打ちの熊五郎をどう演じるか。田舎者でのんびりした性格の私には、鉄火な江戸っ子を表現するのはかなりハードルが高い。無理に早口にしなくても巻き舌に聴かせるテクニックや言葉遣いについて教えてもらっているうちに師匠、


「あと、おしまいの方で熊と幽霊が博奕をするとこな。
うちの師匠(三木助)は噺で食えない頃は踊りと博奕で稼いでたっくらいだから、サイコロを壺に入れて振る仕草はそりゃもう迫力があってきれいだった。


さっきのお前のじゃ、壺から賽がこぼれちまう

そうじゃあなくって手のひらの真ん中少しくぼめてお椀みたにして、そこへ賽をふたっつこう乗っけて、右手で壺をこう持って…」。


興が乗って電話の向こうで仕方ばなしに。


私「あの~お話の途中すいませんけど、今んとこどうやるんですか?」


師「だから、今カミさんに電話持たせてこっちは両手でやってやってんだ。ほら、こうやるんだわかんだろう!」


申し訳ありません師匠、さすがに電話の向こうでは見えません…。

今に先立つ、テレワーク稽古をつけてもらったのでした。


電話見えません.jpg


あの名人が気を遣って


この話には、後日譚があります。
二ツ目勉強会から10日ほど過ぎた、上野鈴本の楽屋。
サラ口(前座の直後など、興行の始まったばかりの出番)をすませた私が楽屋の粗茶をすすっていると、2時間近く先の仲入り前に出るはずの志ん朝師匠が前の仕事が早く終わってつなぎきれないと突然入って来ました。


お会いするのは勉強会以来ですから、「あっ師匠、先日はありがとうございま…」とこちらが言うより早く志ん朝師匠、


「ああ扇治くん、こないだはお疲れさま。いやー師匠の目から見ると弟子の芸ってアラばっかり目立つんだろうけど、この間扇橋さんの言ってたことあんまり深刻に考えすぎない方がいいよ。


ウン、なかなかよくやってたよあんな面倒な噺。ほんとにね、あん時の『へっつい』、師匠が言うほどひどくはなかったからね!」。

励ましてくれたんですが…


ンちょっと待てよ。
「言うほどひどくない」って、やっぱりかなり危ない出来だったのかあの時の高座は!


でも、あれだけの名人が目の前でこんな若造の心配をしてくれた。とても、嬉しかったですね。
深夜の電話口の稽古をしてくれた師匠の想い出とともに、『へっつい幽霊』をさらうたびに志ん朝師匠の優しい顔も浮かんできます。


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気を遣ってくれた大先輩に恥ずかしくないよう、これからも稽古精進。
当ブログでも、読者の方の貴重なお時間無駄にしない楽しい記事作りを心がけます。


よろしければうちの猫のエピソードなぞも、覗いてっていただけたら。





お開きまでお付き合いくださり、まことにありがとうございます。
またのご訪問、お待ち申し上げております。
入船亭扇治


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