江戸の遊び心全開カレンダー!太陰暦時代の「大小暦」が面白い [江戸のトリビア]
2021年も、はや師走。
ホームセンター入ってすぐの催事コーナーには干支のお供え餅がうず高く積み上げられ、年越し気分を盛り上げています。
協会カレンダーに
身が引き締まる思い
身が引き締まる思い
毎年この時期は落語協会特製カレンダーをお客様に送る作業が、わが家の恒例行事。
林家木久扇師匠のおめでたい干支イラストが巻頭を飾る、4枚組の楽しいカレンダー。
さしあげた方々には、けっこう喜んでいただいております。
大掃除すませた部屋に飾ると、(ああ、新年を迎えるんだな)と新たに身の引き締まる思い。
寝ている猫も、
思わず飛び起きるほど。
思わず飛び起きるほど。
日付より
月の大小が大事!
月の大小が大事!
カレンダー発送作業しながらふと(江戸時代の暦って、どんな感じだったんだろう)と思い、軽く調べてみることに。
当時も幕府お抱えの「暦博士」が算定した、かなり精度の高いカレンダーは存在していたそうです。
毎日の月齢・干支・六曜などを記した伊勢神宮発行の暦は、お伊勢詣りの良いお土産に。
しかし普段庶民の生活に馴染んでいたのはそういった暦より、「大小暦」と呼ばれるもの。
その名の通り、一年のうちで大の月・小の月はいつかを表したカレンダー。
太陰暦に基づき3年に一度閏月が足される、江戸時代の月日の数え方。
現代のように月の大小は一定ではなく、その年によって複雑に変わるものでした。
そんな江戸の人たちにとっては晴れた晩空を見上げればだいたいわかる今日の日付より
を知ることの方が、まず重要だったのです。
を知ることの方が、まず重要だったのです。
月の大小は
語呂合わせで覚えよう
語呂合わせで覚えよう
「西向く侍」。
現代でも使われている、小の月の覚え方ですね。
江戸時代にはこういった語呂合わせでの月の大小記憶法が、数多く考案されていました。
宝井其角の句
庭の「に」が二、「白くはく」は 四・六・八・九。 霜は「霜月」=十一・師走は十二をそれぞれ表し、「大庭」ですからこれは皆大の月。
元禄十年(1697)の暦を、うまく詠みこんだ語呂合わせ句になっています。
はその時期の餅料理を和歌の調子に乗せて、大の月である正月・三月・五月・七月・十月・十二月を表現。
餅好きが大喜びしそうな狂歌ですね。
大小暦は
目で楽しむ判じ絵に
目で楽しむ判じ絵に
完成度の高い大小記憶の語呂合わせは口づてに伝えられるだけでなく、絵に描かれて庶民の間に浸透していきます。
これは「”おさまるくにそめてたけれ”の文中、濁りをつけて読める仮名が大の月。それが上から何番目かで、何月かがわかる」という趣向。
落語家元祖の一人・鹿野武左衛門の笑話集『鹿の巻筆』中の一編、『表具屋の掛物』。 「吉弓」墨黒々と書かれただけの掛け軸が、月の大小を表しているというのです。
その心は
掛け軸を見ている四人のうち、正解を言い当てたのはお侍。
武士だけに、「大小」には詳しい…ということでしょうか。
武士だけに、「大小」には詳しい…ということでしょうか。
こういった趣向は時代とともにさらに凝ったものになり、絵の中に数字などを隠す判じ絵としての「大小暦」が大人気に。
羽根つきに興じる大柄な女性と小柄な女性、それぞれの着物の柄に「大の月 二・四・六・八・九・十二」「小の月 正・三・五・七・十・十一」の数字が隠れています。
張子の虎と元気に飛ぶ雀に隠された数字、皆様は見つけることができますか?
こういった趣向を凝らした大小暦の流行は庶民が多色刷りの絵に親しむ機会を増やし、日本が誇る「錦絵」へと繋がっていくのでした。
今に残る大小暦で
遊んでみませんか?
遊んでみませんか?
多くの名作・怪作を産んだ大小暦。
明治維新で太陽暦が取り入れられ、武士・大商人ら大小暦のお得意様だった富裕層が没落するとあっという間に姿を消したそうです。
その掉尾を飾る作品の一つが、鬼才・河鍋暁斎の『ええじゃないか』。
幕末に大流行した大勢で踊り騒ぐ、一種の集団ヒステリー状態を描いたこの大作も大小暦。
暁斎の考えた趣向は、☆第7問(ええじゃないか)慶応4年戊辰(明治元、1868)大小暦 解答 をご覧ください。
国会図書館のこのコーナーでは、ほかにも大小暦がクイズ形式で何点か紹介されています。
江戸の遊び心を今に伝える趣向を凝らした作品の数々、初めての方はぜひこの機会に触れてみられてはいかがでしょう。
お開きまでお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。またのご訪問、お待ち申し上げております。
入船亭扇治拝
入船亭扇治拝
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